高田役所跡(読み)たかだやくしよあと

日本歴史地名大系 「高田役所跡」の解説

高田役所跡
たかだやくしよあと

[現在地名]豊後高田市玉津 新屋敷

肥前島原藩の豊州役所。正保二年(一六四五)高田城主松平英親が木付きつき(杵築)へ移封となった後、旧領地は幕府領となり杵築藩および豊前中津藩の預地となった。寛文九年(一六六九)丹波福知山ふくちやま(現京都府福知山市)から松平忠房島原へ移封となったが、このとき肥前三万八千三〇〇石余のほかに国東くにさき郡の内と豊前宇佐郡の内で二万七千六〇〇石余を与えられた。島原藩では旧高田城の跡地に陣屋を設け、国東・宇佐両郡の豊州領支配の拠点とした。島原藩松平氏は忠房の後、忠雄・忠俔・忠刻と続くが、寛延三年(一七五〇)忠祗のときに下野宇都宮うつのみや(現栃木県宇都宮市)に転封となり、代わって宇都宮から戸田忠盈が入封。戸田氏は安永三年(一七七四)二代忠寛の代に再び宇都宮に転封、入れ代るかたちで松平忠祗の子忠恕が島原へ入り、以後廃藩まで八代続いた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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