朝日日本歴史人物事典 「高辻修長」の解説
高辻修長
生年:天保11.11.29(1840.12.22)
明治時代の華族(旧公家),子爵。京都生まれ。高辻以長と知子の子。高辻家はもともと菅原姓で,漢籍を扱う紀伝道の家。安政5(1858)年少納言に任じ,万延1(1860)年世襲の 文章博士となる。慶応2年(1866)年8月朝政改革・征長軍解兵の建言に加わり差控を命ぜられる。許されてのち,慶応3年6月より明治1(1868)年夏ごろまで明治天皇に漢籍を進講した。2年より17年まで侍従。この間岩倉遣外使節団にも随行した。17年6月明宮(のちの大正天皇)御用掛となり明宮の教育を担当。のち東宮亮,皇太后宮亮,東宮侍従長(30~35年),宮中顧問官等を歴任した。<参考文献>宮内庁『明治天皇紀』
(西川誠)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報