高野蘭亭(読み)たかのらんてい

精選版 日本国語大辞典 「高野蘭亭」の意味・読み・例文・類語

たかの‐らんてい【高野蘭亭】

江戸中期の漢詩人。名は惟馨、字(あざな)は子式。別号は東里。江戸の人。父は俳人高野百里荻生徂徠門人。一七歳で失明したが、徂徠勧告により、多数の漢詩を暗記して詩人として立ち、唐詩や明の七子にならったその詩は服部南郭と並び称された。書、俳諧にもすぐれる。著「蘭亭先生詩集」。宝永元~宝暦七年(一七〇四‐五七

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デジタル大辞泉 「高野蘭亭」の意味・読み・例文・類語

たかの‐らんてい【高野蘭亭】

[1704~1757]江戸中期の漢詩人。江戸の人。名は惟馨。あざなは子式。17歳で失明。荻生徂徠おぎゅうそらいの門人。著「蘭亭詩集」。

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朝日日本歴史人物事典 「高野蘭亭」の解説

高野蘭亭

没年:宝暦7.7.6(1757.8.20)
生年:宝永1(1704)
江戸時代中期の漢詩人。江戸の人。名は惟馨,字は子式。蘭亭,東里と号す。日本橋小田原町の魚問屋で,俳人であった高野百里の子。15歳で荻生徂徠門に入る。17歳のとき失明,徂徠の勧めで詩に専念,やがて,詩人として名声を得,同門服部南郭と並び称された。その詩風は格調派典型,盛唐詩の模擬と評されるが,詩作の範になりやすく,数多くの大名を含む門人たちを抱えた。晩年は鎌倉の地を愛し,円覚寺の側に草庵を営んで遊び,さらには寿蔵を築いてこの地に葬られた。<著作>『蘭亭先生詩集』<参考文献>高橋昌彦「高野蘭亭伝攷」(『語文研究』61,62号)

(高橋昌彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高野蘭亭」の解説

高野蘭亭 たかの-らんてい

1704-1757 江戸時代中期の詩人。
宝永元年生まれ。高野百里の子。荻生徂徠(おぎゅう-そらい)にまなぶ。17歳で失明し,以後詩に専心して服部南郭とならび称された。没後「蘭亭先生詩集」が刊行された。宝暦7年7月6日死去。54歳。江戸出身。名は惟馨。字(あざな)は子式。別号に東里。

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世界大百科事典(旧版)内の高野蘭亭の言及

【漢詩文】より

…これ以後,詩文は素材と表現において大幅な自由を獲得し,文学として自立するにいたる。徂徠門下からは服部南郭,高野蘭亭などの専門詩人が出て,詩文自立の風潮を定着させた。徂徠一門は,具体的な作風としては,秦・漢の文,盛唐の詩を詩文の絶頂と考え,それを手本にする擬古主義を主張したので,古文辞派と称される。…

【横谷藍水】より

…代々の彫工の家に生まれたが,6歳で失明し,鍼(はり)医として身を立てた。17歳のとき,服部南郭の《唐詩選》講釈を聞いて漢詩に興味を持ち,南郭と同じく荻生徂徠門下で,盲目の詩人として著名な高野蘭亭に入門した。やがて蘭亭門の五子の第一と称されるほどの才能を現し,門人も多くなったので,専門詩人として立った。…

※「高野蘭亭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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