高野長英旧宅(読み)たかのちようえいきゆうたく

日本歴史地名大系 「高野長英旧宅」の解説

高野長英旧宅
たかのちようえいきゆうたく

[現在地名]水沢市 大畑小路

蘭学者・蘭医の高野長英は文化元年(一八〇四)水沢留守氏家臣後藤助の三男として給主きつしゆ小路に生れたが、一〇歳のとき母方の実家大畑おおばたけ小路高野玄斎の嗣子となり、一六歳まで育ったのがこの旧宅である。明治九年(一八七六)に改築されたので当時の様子は不明だが、長英の居室であった階下の八畳と六畳の二室は保存されている。国指定史跡。誕生地は給主小路中央南側に位置し、現在高野長英誕生地の標識と後藤家屋敷跡があり、一角に長英著書を記念した「救荒二物考」碑があり、また水沢公園東方のもと高野家所有地に昭和四六年(一九七一)高野長英記念館が建てられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「高野長英旧宅」の解説

たかのちょうえいきゅうたく【高野長英旧宅】


岩手県奥州市大畑小路にある高野長英(1804~50年)が少年時代を暮らした家。長英は、江戸時代後期の医者蘭学者で、旧水沢市(現在の奥州市)では、後藤新平斎藤実と並ぶ三偉人の一人とされている。長英が9歳のとき父が亡くなり、母・美也とともに母の実家であるこの家に移り住んだ。その後、杉田玄白に学んだ蘭方医でもあった叔父高野玄斎の養子となり、蘭学を学んだ。祖父の元端からは漢籍を学び、元端が開く寺子屋では代理講師も務めたという。17歳で江戸に出るまでこの家の1階西側の表庭に面した8畳間と6畳間の2室で暮らした。1876年(明治9)に改築されたため、当時の建築ではないが、長英の居室は当時のまま残っている。1933年(昭和8)、国指定史跡になった。非公開(外観のみが見学可能)。近隣に高野長英生誕の地や高野長英記念館などがある。JR東北新幹線水沢江刺駅からコミュニティバス「水沢駅通り」下車、徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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