鰐浦村(読み)わにうらむら

日本歴史地名大系 「鰐浦村」の解説

鰐浦村
わにうらむら

[現在地名]上対馬町鰐浦

とよ村の西に位置する。南にはな山・高麗こま山があり、北は妙見みようけん瀬戸に臨む。沖に海栗うに島があり、天然の防波堤の役割をもつ。朝鮮海峡に面した対馬島の北西端の浦で、古来より朝鮮半島に渡る船の泊地として知られる。古代にみえる和珥わに津は当地とされ、近世関所が置かれた。「郡方毎日記」寛永一五年(一六三八)条に「わにのうら」とみえる。万治三年(一六六〇)「豊崎郡鰐浦村」内の地二尺ずつが宮原金右衛門・同助左衛門・小左衛門・同藤兵衛の知行とされ、三尺七寸三分余の地が宮原惣左衛門に、二尺七寸三分余の地が宮原与三左衛門に加増されたが(「宗義真判物」豊崎郷給人等判物写)、宮原氏は寛永一三年に郡役を免許されている(「宗義成判物」同判物写)。寛文二年(一六六二)検地帳では豊崎郡鰐浦村として高二九石余。元禄一六年(一七〇三)の対州郷村帳では豊崎郷内として田畠木庭物成九一石余、家数六二・社一・寺一(人数の記載なし)、給人一〇(今一三と記す)・公役人二四・肝入二・猟師五、牛三、船三三で、寺は天台宗宝蔵ほうぞう寺。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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