鳩摩羅什(くまらじゅう)(読み)くまらじゅう

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

鳩摩羅什(くまらじゅう)
くまらじゅう
(344―413)

西域(せいいき)のクチャ亀茲(きじ))国出身の大翻訳僧。サンスクリット名クマーラジーバKumārajīva。「くもらじゅう」ともいい、羅什と略称される。生没年通説に従えば前記のとおりであるが、350―409年という新説も提唱されている。いずれにしても4世紀から5世紀初頭にかけて活躍した天才的な学僧である。羅什の西域における名声はすでに中国に及んでいたので、前秦(ぜんしん)王苻堅(ふけん)は382年(建元18)クチャ国を攻略して羅什をとりこにした。十数年間涼州(りょうしゅう)(甘粛(かんしゅく)省)に滞在したのち、401年(弘始3)後秦の都長安に迎えられた。後秦王姚興(ちょうこう)(在位393~416)は国師として迎え、西明閣および逍遙園(しょうようえん)で訳経に従事させた。長安における彼の訳経と講説は中国仏教を大乗仏教に方向づけるうえで決定的な役割を果たした。彼が翻訳したおもな経論には、『大品般若経(だいぼんはんにゃきょう)』『金剛(こんごう)般若経』『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』『維摩経(ゆいまぎょう)』『阿弥陀経(あみだきょう)』などの大乗経典、『大智度論(だいちどろん)』『中論』『百論』『十二門論』『成実論(じょうじつろん)』などの哲学的な論書、『十誦律(じゅうじゅりつ)』『十誦比丘戒本(びくかいほん)』などの戒律文献がある。なかでもとくに力を傾注したのは、大乗の空(くう)思想の的確な把握とその宣揚であった。中国仏教に龍樹(りゅうじゅ)系の中観(ちゅうがん)思想を初めて紹介し、インド大乗仏教の正系と直結させたのは羅什およびその門下功績である。廬山(ろざん)の慧遠(えおん)の質問に答えた『大乗大義章(だいじょうたいぎしょう)』には彼の仏教理解の特質がよく表れている。国家によって手厚く保護された羅什の仏教学に腐敗の萌(きざ)しがなかったわけではない。羅什は自らを泥中の蓮華(れんげ)に喩(たと)え、華のみをとって泥の濁りに染まるなと戒めた。羅什の門下は3000人と称されたが、とりわけ僧肇(そうじょう)、僧叡(そうえい)、道生(どうしょう)、道融(どうゆう)(生没年不詳)は四哲として有名であった。三論、成実、天台などの中国諸宗がのちに開かれる基礎は、羅什一門によって準備されたといってよい。羅什は唐代の玄奘(げんじょう)と並ぶ大訳経僧であり、訳経史上に旧訳(くやく)時代という一時期を画した。訳文は流麗で文学的に洗練され、中国人の心に深く訴える力をもっていた。

[岡部和雄 2017年2月16日]

『横超慧日・諏訪義純著『羅什』(1982・大蔵出版)』


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