鶏冠井城跡(読み)かいでじようあと

日本歴史地名大系 「鶏冠井城跡」の解説

鶏冠井城跡
かいでじようあと

[現在地名]向日市鶏冠井町

鶏冠井を本拠とする国人で西岡にしのおか御家人の鶏冠井氏が拠った城。文明六年(一四七四)の野田泰忠軍忠状(別本前田家文書)には、

<資料は省略されています>

などとみえる。大永七年(一五二七)二月、桂川合戦に敗れた管領細川高国が同年一〇月京都をうかがった際にも「鶏冠井城未落居」と「二水記」同月二五日条にみえる。しかし城の遺構は明らかでない。集落北部の御屋敷おやしき南部ほりうちなどの小字名が、城との関連を推測させる程度である。

鶏冠井氏は、応永一二年(一四〇五)には守護高師英の守護使として隅田氏とともに大勢を率いて上野かみの(現京都市西京区)に押し寄せており(同年一〇月日付「鎮守八幡宮雑掌申状案」東寺百合文書)、寛正六年(一四六五)一一月には、土一揆に与同することを禁じた西岡御被官人中宛の幕府奉行人奉書の、宛先のうちの一人に鶏冠井太郎左衛門の名がみえ、長享元年(一四八七)の惣国の代表者の一員にも鶏冠井八郎次郎雅盛の名がみえる(同年閏一一月三日付「神足友善等連署書状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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