鶴田浩二(読み)つるたこうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鶴田浩二」の意味・わかりやすい解説

鶴田浩二
つるたこうじ

[生]1924.12.6. 浜松
[没]1987.6.16. 東京
映画俳優本名小野栄一。 1938年子役で映画初出演。 44年,関西大学から海軍飛行科へ入校。第2次世界大戦後,『遊侠の群れ』 (1948) で本格デビュー。甘い美貌と虚無的な雰囲気でたちまちトップ・スター地位を築く。『人生劇場・飛車角』 (63) の大ヒットをきっかけに東映任侠路線をになう中心的存在となる。ほか学徒兵への鎮魂をこめた『雲ながるる果てに』 (53) ,『日の果て』 (54) など。歌手としても活躍した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鶴田浩二」の解説

鶴田浩二 つるた-こうじ

1924-1987 昭和時代後期の映画俳優。
大正13年12月6日生まれ。関西大在学中に海軍に入隊。戦後,高田浩吉劇団をへて昭和23年松竹の「遊侠の群れ」でデビュー。のち東宝,東映で二枚目スターとして活躍した。代表作に「雲ながるる果てに」「人生劇場・飛車角」など。歌手としても「傷だらけの人生」などのヒット曲がある。昭和62年6月16日死去。62歳。静岡県出身。本名は小野栄一。

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世界大百科事典(旧版)内の鶴田浩二の言及

【活劇映画】より


[戦後の活劇]
 戦後の活劇の隆盛をもたらしたのは新会社,東映で,前身の東横時代から,占領軍による時代劇規制のもと,時代劇スターが現代劇に出演,片岡千恵蔵の《多羅尾伴内》シリーズ(1947‐60)や《にっぽんGメン》(1948),市川右太衛門の《ジルバの鉄》(1950),両者共演の《難船崎の決闘》(1950)などがつくられ,これらの探偵活劇や暗黒街活劇は〈時代劇王国〉東映のもう一つの顔になった。1950年代から60年代にかけて,探偵活劇の流れからは《警視庁物語》シリーズ(1955‐64)や《点と線》(1958),《黄色い風土》(1961)などの犯罪・推理ドラマが生まれ,暗黒街活劇の系譜としては,片岡千恵蔵の《奴の拳銃は地獄だぜ》(1958),鶴田浩二主演《花と嵐とギャング》(1961),《誇り高き挑戦》(1962),高倉健主演《恋と太陽とギャング》(1962),《暴力街》《恐喝》(ともに1963)などがつくられ,小林恒夫,石井輝男,深作欣二らの活劇監督が輩出した。そして60年代の後半,やくざ映画が時代劇を衣装替えした活劇として一大ブームとなるとともに,その中で現代活劇としての暴力団抗争劇が量産された。…

【総長賭博】より

…1960年代に隆盛を誇った東映やくざ映画の頂点をなす傑作の1本で,正式題名は《博奕打ち・総長賭博》(1968)。のちに《仁義なき戦い》シリーズ(1973‐74)の脚本を書く笠原和夫の脚本の緻密(ちみつ)な構成,山下耕作監督の流麗な画面づくり,主役の鶴田浩二の名演によって,博徒一家総長の跡目相続をめぐる人間関係のドラマが,昭和初期の東京を舞台に,荘重に美しく描き出され,三島由紀夫をして〈何という絶対的肯定の中にぎりぎりに仕組まれた悲劇であろう。しかも,その悲劇は何とすみずみまで,あたかも古典劇のように,人間的真実にかなっていることだろう〉といわしめた。…

【日本映画】より

…戦後のスター・プロには次のようなものがある。(1)長谷川一夫(1948‐52)(2)鶴田浩二(1952‐53)(3)山村聡(1952‐65)(4)岸恵子,久我美子,有馬稲子の〈にんじんくらぶ〉(1954‐66)(5)三船敏郎(1962‐ 。東京世田谷成城)(6)石原裕次郎(1963‐ )(7)三国連太郎(1963‐65)(8)勝新太郎(1967‐ )(9)中村錦之助(のち萬屋錦之介)(1968‐ )
【時代劇と現代劇】

[サイレント映画の頂点――時代劇の全盛時代]
 日本映画は1920年代後半,量産時代に入り,年間650本ほどの作品がつくられるようになった。…

※「鶴田浩二」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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