鷲崎村(読み)わしざきむら

日本歴史地名大系 「鷲崎村」の解説

鷲崎村
わしざきむら

[現在地名]両津市鷲崎

大佐渡の内海府うちかいふ海岸最北端に位置する。北は弾野はじきの段丘藻浦もうら外海に面し、西は刃切つるきり(三六二・四メートル)を背にねがい村、東は内海府沿岸に開ける。南は大平おおだいら(三〇二メートル)を背に見立みたて村と境する。標高二〇〇メートルの丘陵地に榊原さかきばらがある。榊原は昭和二一年(一九四六)入植が開始されてできた開拓集落。集落の多くは崎の南側にある弁天べんてん崎を境に鷲崎じょう・合楽ごうらくじょうに二分され、海岸段丘に集中する。「佐州巡村記」には「船掛り澗深さ八尋余、西風は当不拾艘程掛り」とある。

鷲崎村
わしざきむら

[現在地名]諫早市鷲崎町

小川おがわ村の北東に位置し、本明ほんみよう川支流の埋津うめづ川右岸に位置する。島原街道が通る。近世は諫早郷に属し、はじめ肥前佐賀藩親類同格の諫早家領であったが、元和七年(一六二一)に佐賀本藩に上知されたうちの一村とされる。正保年間(一六四四―四八)に佐賀藩家老深堀鍋島家領になったとされる。正保国絵図に鷲崎村とあり、高一九四石余。寛文四年(一六六四)の鍋島光茂領知目録(寛文朱印留)にも村名がみえ、元禄国絵図でも高一九四石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報