鷲津村(読み)わしづむら

日本歴史地名大系 「鷲津村」の解説

鷲津村
わしづむら

[現在地名]湖西市鷲津

北と東は浜名湖に面し、南は中之郷なかのごう(現新居町)。明応八年(一四九九)六月一日、飛鳥井雅康は「わしづ」に着き、本興ほんこう寺に一泊している(富士歴覧記)。天文二四年(一五五五)四月晦日の古見こみ八幡神社棟札には吉美きび庄鷲津郷とみえ、中世は吉美庄内にあった。永禄元年(一五五八)八月一日の初生衣社領由緒書写(弥生衣神社蔵)によれば「和志津村」五町八段があり、それは牧野成定の寄付金をもとに買得したものであった。徳川家康は永禄七年四月八日に自軍を鷲津本興寺へ乱入させ(同九年閏八月六日「今川氏真判物」東漸寺文書)、同一一年暮れの遠江侵攻により当地もその統轄下に置かれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android