儀仗警衛の隊伍を整えた行幸の列。明治以後は皇后以下皇族の行列にも用いた。鹵は盾,簿は列次を書いた帳簿。養老宮衛令には,行幸に供奉する者は〈鹵簿図〉によって列次を組むこと,鹵簿を横切るのを禁ずることを定め,衛禁律には鹵簿を犯す者に対する罰則を規定している。その鹵簿の構成については,乗輿の前後を兵衛(のち近衛)および内舎人が分衛し,衛士が前駆・後殿を務めること,内記以下諸司官人が供奉し,三位を長官とする前後次第司を任命して隊列を監することなどの規定がある。その後,令制の衰退と武士の台頭など,時代の推移に応じて,供奉警固の主体は武士に移り,その列次も大きく変化したが,明治に入ってまた一変した。1868年(明治1)新政府は行幸供奉の列を3等に分かつことを布告し,ついで外国より馬車を購入し,前駆・後殿の侍従・騎兵等の員数を定めたが,78年行幸・行啓鹵簿に関する成規を定めた。すなわち行幸鹵簿を第一公式(遠地への出発および帰還,鉄道開業式等),第二公式(天長節飾隊式,元老院開院式等)および式外(諸官省行幸等)に分け,また公事行啓(女子師範学校開校式等)の鹵簿を規定し,別に遊行,乗馬,式外行啓等の鹵簿も定めた。ついで嘉仁親王(大正天皇)の立太子後に皇太子の公式および準公式の行啓鹵簿が定められ,また1913年には自動車が購入され,その間鹵簿の制は数次の改訂を経て,26年制定の皇室儀制令に規定された。すなわち天皇の鹵簿は第一,第二,第三公式および略式に分けられ,たとえば登極令中の京都行幸は第一公式,帝国議会開院式は第二公式,陸軍始観兵式は第三公式が用いられ,第一公式鹵簿の近衛騎兵は連隊長以下136騎にも及んだ。そのほか皇后,皇太子等の公式,略式鹵簿,摂政の第一,第二公式および略式鹵簿,親王以下皇族の公式鹵簿も定められたが,47年の皇室令廃止により,鹵簿の制も消滅した。
執筆者:橋本 義彦
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…天子の行く所,万民が恩恵に浴し,幸いを受けるので〈幸〉というと古書に説明する。大宝・養老令や延喜式制では,行幸に際しては,衛府の官人らが儀仗を整え,列次を組んで警固すること(鹵簿(ろぼ)),駐泊所は行在所(あんざいしよ)または行宮(あんぐう)といい,行幸に先立ち,官人を遣わして検察すべきことなどを規定している。奈良時代までは,遷都も含めて,畿内各地の行幸の例は少なくないが,平安奠都以後は,安徳天皇の福原行幸や南北朝争乱期の諸天皇の場合を除き,ほとんど都下ないしその近郊の行幸に限られ,わずかに数度の南都春日社行幸の例を見るにすぎない。…
※「鹵簿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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