鹿浜村(読み)しかはまむら

日本歴史地名大系 「鹿浜村」の解説

鹿浜村
しかはまむら

[現在地名]足立区鹿浜一―八丁目など

堀之内ほりのうち村の北東に位置し、北は加々皿沼かがさらぬま村、東は谷在家やざいけ村、西は領家りようけ(現埼玉県川口市)。南は荒川(現隅田川)に臨む。「風土記稿」には村名にシシハマの振仮名がある。田園簿に村名がみえ、田七六一石余・畑二〇四石余、ほかに見取場として畑一町一反余、野銭永二四貫四文。初め幕府領で、明暦元年(一六五五)から東叡山寛永寺領となる(東叡山方書物之写など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android