黒韃事略(読み)コクダツジリャク(その他表記)Hēi dá shì lüè

デジタル大辞泉 「黒韃事略」の意味・読み・例文・類語

こくだつじりゃく【黒韃事略】

中国雑書。1巻。彭大雅ほうたいが徐霆じょていの撰。1237年成立モンゴル帝国創成期の事情制度風俗などを記す。

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精選版 日本国語大辞典 「黒韃事略」の意味・読み・例文・類語

こくたつじりゃく【黒韃事略】

  1. 中国の雑史一巻南宋彭大雅(ほうたいが)徐霆(じょてい)撰。嘉熙元年(一二三七)成立。宋の理宗の命で蒙古におもむいた時の見聞録で、ジンギス‐カン時代の風俗、歴史、制度、国状を記す。

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改訂新版 世界大百科事典 「黒韃事略」の意味・わかりやすい解説

黒韃事略 (こくたつじりゃく)
Hēi dá shì lüè

1230年代中ころに前後してモンゴル帝国へ使いした中国,南宋の彭大雅(1232年の使節に参加,33-34年滞在)と徐霆(1234年の使節に参加)が著した見聞記。1237年(嘉熙1)の跋を付す。前者が著した本文について各節ごとに後者が内容を補足するかたちをとる。本書はモンゴルの制度や風俗,とくにオゴタイ・ハーン時代における華北支配の実態を伝える重要な史料である。
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世界大百科事典(旧版)内の黒韃事略の言及

【蹄鉄】より

…しかし,中央アジアおよび北アジアの遊牧民の間に蹄鉄が広く知られるようになるのは,早く見積もっても12世紀以降で,それも全面的に普及するまでには至らなかった。 南宋の彭大雅(ほうたいが)はそのモンゴル見聞記《黒韃事略(こくたつじりやく)》(1237)中で,モンゴル人はひづめが損耗して薄くなり砂磧地帯の走行に向かない馬には,鉄もしくは板でこしらえた〈脚渋〉を装着すると報告しており,モンゴルの大半の馬が装蹄していなかったことをうかがわせる。脚渋は唐代以後の記録に蹄渋,木渋とも見え,中央アジアの砂漠地帯で発達した装蹄法で,古くはもっぱら木製であった。…

※「黒韃事略」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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