龍翔寺(読み)りようしようじ

日本歴史地名大系 「龍翔寺」の解説

龍翔寺
りようしようじ

大徳寺の塔頭。同寺境内北西にある。延慶二年(一三〇九)三月後宇多天皇から寄進された西京安井やすい(現京都市右京区)の柳殿御所跡地に、南浦紹明(大応国師、大徳寺開山妙超の師)の塔所(祥雲庵)を中心として開創された。瑞鳳山と号する。至徳三年(一三八六)の五山制度改定の際に大徳寺と並んで十刹第一〇位に列している。もともと大徳寺開山の禅師の寺であったから、大徳寺の上位に位置し、大徳寺本寺としての取扱を受けたとされ、寺地規模も大徳寺に匹敵し応仁の乱以前には約三町歩を占めていたという(太秦村誌)。寺領も元亨二年(一三二二)四月二七日、吉田(卜部)兼好から山科小野やましなおの荘内の地を買寄進されたのをはじめ(「卜部兼好田地売券」大徳寺文書)、永和四年(一三七八)には山城国たきぎ荘・鳥羽下三栖とばしもみす荘内得友名・西院荘、伊勢国鈴鹿すずか神戸内恒吉名、尾張国益田ました保、摂津国住吉すみよし郡などに散在田を含め三〇ヵ所を領有していた(三月五日「龍翔寺重書粉失状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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