改訂新版 世界大百科事典 「USスチール会社」の意味・わかりやすい解説
USスチール[会社] (ユーエススチール)
United States Steel Corp.
アメリカ最大の銑鋼一貫メーカー。本社ペンシルベニア州ピッツバーグ。製鉄王A.カーネギーが1864年ピッツバーグに創設した圧延工場の後身。1901年,当時世界最大の鉄鋼会社に発展していたカーネギー製鋼会社と金融王J.P.モーガンの所有するフェデラル製鋼会社を中心に,その他8社とが大合同してUSスチールが誕生した。USスチールは全アメリカ鉄鋼生産の70%以上を独占して市場で圧倒的な支配力をもち,また原料の鉄鉱石と石炭も独占し,とくに鉄鉱石についてはUSスチール以外の鉄鋼会社は一部をUSスチールに依存していた。市場と原料の独占が鉄鋼価格を政策的に管理する力をUSスチールに与えた。つまり,USスチールの拠点ピッツバーグにおける鋼材の工場渡し価格を基準価格とし,それに需要地までの運賃を加えた需要地渡し価格に他の鉄鋼会社も従ったのである(ピッツバーグ・プライス制と呼ばれた)。この価格制度のもとでUSスチールは高い利益率を得た時期もある。しかし,その後他の鉄鋼会社が設備を拡張し,また安い屑鉄を使う技術を導入したことなどから,USスチールの全国生産に占めるシェアは低下傾向をたどり,第2次大戦直前には35%に下がった。また,独占禁止法の制約から,USスチールは設備拡張ができにくかったということもある。第2次大戦後は最高裁の違憲判決を見越して前記の価格制度を自発的にやめたが,58年ころまでは賃金等の費用が上昇すれば,USスチールが鋼材の値上げを発表し,他の有力メーカーがこれに追随する管理価格が続いたこともあって,USスチールは高収益を保った。
60年代に入ると,日本とヨーロッパ諸国からの鉄鋼輸入が急増し,またケネディ大統領が鉄鋼値上げを抑えたこと等から,USスチールは高収益を保つことが困難になった。このころからUSスチールは鉄鋼中心の事業に限界を感じ,化学部門に進出するなど事業の多角化を進めた。70年代後半になると設備が老朽化し,国際競争力を失った鉄鋼部門の収益が著しく悪化し,79年には鉄鋼関係15工場の閉鎖に踏み切った。USスチールは新日鉄に世界鉄鋼業のトップの地位を譲り,斜陽のアメリカ鉄鋼産業においてもシェアを低下させ,20%を占めるにすぎなくなった。このような状況下でUSスチールは脱鉄鋼によって収益回復をはかるべく,82年に65億ドルの巨費を投じてアメリカで17番目の一貫石油会社でアメリカ国内と北海に大油田をもつマラソンMarathon石油会社を完全買収し,資源(石油)部門に乗り出した。鉄鋼の巨人USスチールは80年代を迎えて,鉄鋼メーカーから資源(石油,天然ガス,石炭,ウラン),鉄鋼,化学等の多角的な事業会社へ変わった。1986年社名もUSX Corp.と改称,鉄鋼部門はUSX-USスチール・グループが,石油・天然ガス部門はUSX-マラソン・グループが受け持つこととなった。
2001年USX Corp.は分社化し,スチール・グループはアメリカ最大の鉄鋼メーカー,ユナイテッド・ステーツ・スチール社として独立。同社の04年粗鋼生産量は1730万t,売上高140億ドル(2004年12月期)。マラソン・グループはマラソン・オイル社となった(2004年12月期の売上高496億ドル)。
→鉄鋼業
執筆者:下田 雅昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報