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メキシコ古代史の最後の文明を創った民族。北方の狩猟民チチメカの系統を引くアステカ,またはメシカ(mexica)人は,14世紀初めメキシコ盆地に入って,テノチティトランを築き,先進のトルテカ系の文明を継承した周辺の都市国家群から文化を吸収した。1428年にはテスココ,トラコパンの2有力都市と三者同盟を結んだが,16世紀初めにそれらを制圧してメキシコ中央部の覇者となった。多くの民族集団に貢納を要求して巨大な富を集め,壮麗な首都を築いたが,1521年に侵入してきたスペイン人に滅ぼされた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…メソアメリカ地域においては後1千年紀の間に,メキシコのテオティワカン,エル・タヒン,モンテ・アルバンおよびマヤの諸神殿のような祭祀センターが成立し,中央アンデスにおいても,ペルーのモチェ,ナスカ文化,ボリビアのティアワナコ文化などの文明が興った。1000年以後には両地域からはいくつもの地方国家が生まれ,その最終段階において,メキシコ盆地に拠るメシカ(アステカ)国家,ペルー,クスコ盆地に拠るインカ国家(タワンティンスーユ)が軍事征服を行って広領域にわたる政治社会を建設した。以上述べた農耕の及ばなかった地方,すなわち北アメリカの大部分や南アメリカのパンパ,パタゴニア地方などは,ヨーロッパ人の到着まで狩猟採集民の小集団が点在する人口密度の低い地域にとどまった。…
…アステカ帝国最後の皇帝。現代メキシコでは国民的英雄とみなされる。…
…決議には部族別の投票による全議員の一致を必要とした。 モーガンは,以上のようなイロコイ諸族の氏族―胞族―部族―部族連合の組織を,記録に残されたメキシコのアステカや古代のギリシア,およびローマの諸制度と比較した結果,われわれの遠い祖先も国家を形成する以前には,氏族を基調とするこのような諸制度をもっていたものであると考えた。そして一方では,婚姻および家族の制度の進化のあとをたどることによって,氏族制度がおそらく,かのプナルア家族と名づけた群婚の形態から発生したものであろうと論じ,他方では,財産の観念とその相続規制の発達のあとをたずねて,原始の母系制が父系制に変わり,民主的な氏族共同体が貴族階級の支配に移っていく過程を考察したのである。…
…56‐66年のメキシコ在任中に資料を集め,《ヌエバ・エスパーニャの君侯たちに関する簡潔な報告》(1891)を著す。征服直前のアステカ人の統治制度,税制,社会成層,土地所有等についての第一級史料であり,スペイン統治下に生じた変化についての証言を含む。【高橋 均】。…
…スペインによるメキシコ征服直後の原住民歴史家。アステカ皇帝モクテスマ2世の孫。著書は《メキシコ年代記Crónica mexicana》と《メシカヨトル年代記Crónica mexicayotl》。…
※「アステカ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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