中央アジア、カザフスタン共和国アルマトイ州の州都。キルギスとの国境に近い南部に位置する。1997年12月にアクモラ(現、アスタナ)に移転するまで、カザフスタン共和国の首都であった。市名のalmaはリンゴの意、語尾のtyはトルコ語起源で、両者があわさって「リンゴの」という意味である。カザフスタンがソ連の構成共和国であった時代はアルマ・アタАлма‐Ата/Alma-Ataとよばれていたが、1991年のソ連崩壊後、カザフ語のアルマトイの名でよばれることになった。人口112万9400(1999)、188万5739(2019推計)、州人口155万8500(1999)。天山山脈の一部ザイリスキー・アラタウ山脈の北麓(ほくろく)、標高650~950メートルにあり、大小二つのアルマチンカ川(イリ川流域)に面している。乾燥地帯にあり、年降水量は581ミリメートル、平均気温は1月零下6.7℃、7月23.3℃。ロシアのノボシビルスクとウズベキスタンのタシケントを結ぶ鉄道が通じ、中国国境への自動車道路の分岐点にあたるとともに、航空路も各地へ通じる交通上の要衝である。鉄道車両、金属加工のほか、食品と軽工業を主とする多数の工場があり、食肉、乳製品、皮革、綿紡績、ラシャ、果実酒などが生産される。新市街は近代的都市計画による碁盤目状で、街路樹があり、道路沿いにこれらの街路樹や果樹園灌漑(かんがい)のための水路がある。タシケント通りは、古来シルク・ロードの通過点で、現在は高層建築が建ち並ぶ。市街から万年雪を頂いた天山山脈の一部が望まれ、美しい都市である。
カザフ人の村アルマトイに、1854年帝政ロシアの要塞(ようさい)ザイリスコエが建設され、翌1855年ベルヌイВерный/Vernïyと改称された。1867年トルキスタン総督領セミレチエ州の中心地となり、十月革命翌年の1918年にソビエト政権が樹立され、軍事、政治上の中心地となった。1921年アルマ・アタと改称され、1929年カザフ共和国政府が置かれた。1930年に鉄道が開通し、当時は人口約4万の商業都市にすぎなかったが、ソビエト時代になってから発展した。カザフスタン共和国の教育、文化の中心地で、1934年建設のアルマトイ大学をはじめ多くの高等教育施設、カザフ科学アカデミーの各種研究所、博物館などの文化・研究施設が多い。また付近は地震多発地帯で、1887年、1910年に大きな被害を受け、耐震建築設計事務所が設けられている。山の手には国際的なスケート競技場として知られるメデオMedeoがある。
[加藤九祚]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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