1972年6月、米共和党のニクソン大統領の再選を画策するグループが、民主党全国委員会本部に盗聴装置を仕掛けようとした事件。ニクソン氏は72年11月に再選されたが、疑惑の渦中にあった73年10月、捜査を担当する特別検察官を解任。捜査妨害との反発が広がり、議会が弾劾の手続きに入ったため、74年8月に米史上初めての大統領辞任に追い込まれた。(ロンドン共同)
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1972年アメリカ大統領選挙戦さなかの6月17日、ニクソン再選委員会(共和党)の組織した一味(7名)が、民主党選挙対策本部のあるワシントンDCのウォーターゲート・ビルに侵入し、盗聴器を仕掛けようとしてその作業中にガードマンに発見されて未遂に終わり、逮捕されて起訴され、これが契機となって2年余にわたってアメリカ政界を大混乱に巻き込み、ついに74年8月9日、議会による事実上の弾劾直前になってニクソン大統領を辞任に追い込んだ事件。
事件は当初10日間は、ビル侵入で逮捕された被疑者およびその直接上司が告発されるだけで終わるかにみえたが、しだいに体制内の権力闘争の様相を濃くしていった。まず、逮捕された「ウォーターゲート・セブン」のうちジェームス・マッコードの裁判証言で、ミッチェル共和党大統領再選委員長(前司法長官)、ニクソン側近のアーリクマン、ホールドマン両補佐官も直接関与していたことが明らかにされて辞任、またディーン大統領法律顧問、クラインディーンスト司法長官も辞任に追い込まれたが、ニクソン大統領自身は事件に無関係だったと釈明した。だが、事件の真相究明のため任命されたコックス特別検察官、ラッケルハウズ司法次官を大統領が解任し、これを不満とするリチャードソン司法長官(検事総長)が辞任したころから、大統領自身とその側近、主要閣僚の大半が事件にかかわってきた疑惑が出てきた。
事件発覚から10か月目の1973年3月、戦後アメリカ政財界で最有力な調整役を務めてきたクラーク・クリフォード(ジョンソン大統領時代に一時は国防長官)が公然とニクソン大統領の辞任を要求。以後この事件は、単に選挙戦での盗聴犯罪の域をはるかに越えて、なんとしてでもニクソンを大統領から引きずり下ろすためのすさまじい政治権力闘争と化するに至る。そのための筋立てとして、ニクソン辞任によっていっそう不適格なアグニュー副大統領が大統領に昇格するのを防ぐため、アグニューが副大統領就任以前に出身州で犯したささいな汚職を告発して、ニクソン大統領に副大統領アグニューを解任させて、ジェラルド・フォードを後任に任命させる手が打たれる。そのうえで、ニクソンが事件に無関係であることを証明しようとして提出したホワイトハウス内の会話録音テープで、ニクソンが大統領にあるまじき下品なことばを使っていたり、テープに作為していた事実や、大統領が元首の資格で外国から贈与された宝石をパトリシア夫人に贈った事実、大統領自身の脱税の事実そのほか、当時オルソップ記者が書いたように、内国歳入局、FBI、CIAなどが協力しなければ絶対にわからないような事実が次々にマス・メディアに暴露されて、ニクソン追放の大勢を着々と加速させていった。これは明らかに、ウォーターゲートを名目とする、政治路線をめぐる権力内部の抗争の発現であり、ニクソンが辞めさえすれば、弾劾であれ自発的辞任であれ、その手段はどうでもよかったのである。その意味ではこの事件は、アメリカ政治史上でもほとんど先例のない大統領府への政財界主流の挑戦であった。事件の内容を丹念に追及・暴露していったワシントン・ポスト紙の2人の記者カール・バーンスタイン、ボブ・ウッドワードの大きく注目された役割や、下院司法委員会の大統領弾劾への追及劇などは、実はこの大勢を助長するために負わされた副次的役割にすぎなかった。
ウォーターゲート事件の背景に隠された真の動機は何であったかといえば、(1)ベトナム和平に関するパリ協定(1973年1月)以降もなおニクソン政権がベトナムから手を引かず、サイゴン政権維持に巨額を浪費していたこと、(2)国際通貨体制(ブレトン・ウッズ体制)を崩壊させ、ドルの信用と価値をだいなしにしたこと、(3)旧ソ連・中国との「デタント」を重視するあまり、世界資本主義体制のかなめとしての西欧諸国・日本との関係を悪化させたこと、などであった。しかし、ニクソンを辞任させた勢力の側にも、これらについて明確な対案が用意されていたわけでないことは、この事件の複雑さを暗示している。
[陸井三郎]
『ワシントン・ポスト編、齋田一路訳『ウォーターゲートの遺産』(1975・みすず書房)』▽『B・ウッドワード、C・バーンスタイン著、常盤新平訳『大統領の陰謀』(文春文庫)』
1972年6月17日,アメリカ合衆国大統領ニクソンの再選を策するグループが,ワシントンのウォーターゲート・ビルの6階にある民主党全国委員会本部に侵入し,盗聴装置を仕掛けようとして未遂に終わった事件。最初,事件関係者としてジェームズ・マッコードJames McCordら7名が逮捕されたが,裁判の進行とともに,ミッチェルJohn N.Mitchell再選委員長を中心に計画が立てられたこと,ハルドマンH.R.Haldeman補佐官ら大統領側近も関知していたことなどが,法廷での証言によって明らかにされた。そのため,大統領ニクソンは73年4月30日ハルドマン,アーリックマンJohn D.Ehrlichman両補佐官,クラインディーンストRichard G.Kleindienst司法長官の辞任を認めるとともに,ディーンJohn W.Dean Ⅲ法律顧問を罷免し,自分自身は事件をまったく知らなかったと釈明した。しかし,6月25日ディーンは上院調査委の公聴会で,ニクソン大統領自身も事件の隠蔽工作を関知していたと証言,これに対して大統領は潔白を証明するために,ホワイト・ハウスの録音装置で採録されたテープやその速記録を公表したが,そこに作為された空白があることから,かえって大統領への疑惑を深める結果になった。加えて,事件解明のために任命したコックスArchibald Cox特別検察官を解任したこと,また大統領の納税申告における不当な控除が明るみに出たことなどから,大統領に対する国民の不信感は急速に強まった。74年7月24日,最高裁が全員一致で完全なテープの提出を求める判決を下し,かつ下院司法委が大統領弾劾決議を可決するに及んで,ついに8月5日大統領は事件の隠蔽工作にかかわっていたことを認める特別声明を発表,8月9日には自発的に辞任して,副大統領フォードが大統領に就任し,事件は一応の決着をみた。一般にアメリカ人は,大統領に対して道徳的にも強い信頼の念を寄せてきただけに,この事件はアメリカ国民に深刻な衝撃を与え,政治的挫折感や無力感を生み出した。ベトナム戦争と並んで,この事件がアメリカ国民の自信を深く傷つけたことは否定できない。
執筆者:阿部 斉
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(井上健 東京大学大学院総合文化研究科教授 / 2007年)
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…連邦裁判官は上院の同意を得て大統領が任命する。任命に際しては大統領の政治色が反映することが多いが(たとえばローズベルト・コートなどと大統領の名で時の最高裁判所が呼ばれることもある),連邦裁判官は終身職で,その身分は保障されており,ウォーターゲート事件のとき最高裁判所が大統領側の行政特権適用の主張を全員一致で否認して,録音テープの提出を命じたごとく,司法権の独立は一応確保されてきているといってよい。 アメリカ司法制度の特色としては,何よりも違憲立法審査制があげられる。…
…また,石橋湛山が《東洋経済新報》において反戦自由主義経済論をつらぬくにいたる契機も,この運動にあった。 現代においてジャーナリズムの批判機能がもっともみごとに発揮されたのは,アメリカのベトナム戦争秘密文書公開とウォーターゲート事件であり,また日本の田中角栄首相の土地ころがし暴露であった。国防総省文書Pentagon Papers事件と呼ばれる第1の事件は,ベトナム戦争の経過の全容について国防総省が調査機関につくらせた膨大な報告書を《ニューヨーク・タイムズ》が紙面に掲載しはじめ,政府が裁判所に記事掲載差止めを提訴しているあいだに《ワシントン・ポスト》などの新聞もこの報告書を入手して,この宣戦布告なき参戦をいっせいに点検したことにはじまる事件である。…
※「ウオーターゲート事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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