キエフ大公国(読み)きえふたいこうこく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「キエフ大公国」の意味・わかりやすい解説

キエフ大公国
きえふたいこうこく

古代ロシアの国家(9~12世紀)。バリャーグ(ノルマン)人リューリクの一族オレーグが、リューリクの子イーゴリを擁してキエフ(現、キーウ)を占領した結果882年に建国されたと考える学者が多い。キエフを中心に、北東は北ドビナ川上流域から南は黒海沿岸、西はドニエストル川、ビスワ川上流域に至る広大な領土を含んだ。経済的基盤は農業にあったが、牧畜狩猟、採取業、さらにはバルト海方面と黒海・カスピ海方面とを結ぶ国際商業路を利用しての交易も重要であった。キエフ国家キエフ・ルーシ)は、10世紀末ウラジーミル大公治世におけるキリスト教の国教化とともに、文化、精神生活面においてのみならず、政治、経済面においてもとくに発展し、11世紀前半のヤロスラフ賢公治世に最盛期を迎えた。ヤロスラフ公の死(1054)後、大公国は諸公間の対立抗争の結果分裂してゆく。この政治的分裂の傾向は国内諸地方の経済的自立化傾向にも促されて進み、一時ウラジーミル・モノマフ公治世に大公国は再度統一されかけたが、その死後、分裂は決定的になった。かくて12世紀中葉には大公国は完全に分解し、ノブゴロド、北東ロシア(ウラジーミル、スズダリ)地方、世紀末にはさらに南東ロシア(ガーリチ、ボルイニ)地方が自立化していった。

[栗生沢猛夫]

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