アメリカのポピュラー歌手,映画俳優。イタリア系移民の子で,ビング・クロスビーに憧れ,四重唱団で歌ったりしたのち,1939年ハリー・ジェームズ楽団に誘われ,翌40年にはトミー・ドーシー楽団へ移り,専属歌手となって人気を得た。42年ソロ歌手に転じ,同年暮から43年にかけてのニューヨーク・パラマウント劇場での公演で〈ボビー・ソクサー(女学生)のアイドル〉となり,集団失神騒ぎを起こすほどの人気を集めた。〈ザ・ボイス〉〈スウーナーswooner〉などの異名をとり,ポピュラー界の大スターとなる。51年女優エバ・ガードナーと結婚したが57年に離婚。50年代初め,スキャンダルやレコード会社とのトラブル,また声帯を痛めるなど低迷したが,53年《地上(ここ)より永遠(とわ)に》でアカデミー助演男優賞を得,演技派に転向するとともに芸能界の大物となった。60年の《オーシャンと11人の仲間》ではD.マーチン,S.デービスJr.,ピーター・ローフォードら〈シナトラ一家Sinatra cran〉を率いて映画製作にも乗り出した。シナトラ一家はかつてH.ボガートが主宰したアンチ・ハリウッドのスター親睦グループ〈ビバリー・ヒルズの鼠党〉を,57年にボガートの死により彼を敬愛したシナトラがひきついだものである。61年には自らリプリーズ・レコードを設立,時のケネディ大統領と親しい一方,マフィアとの関係もしばしばマスコミをにぎわすなど,アメリカ芸能界のもっとも伝説的,また象徴的なスターのひとりであった。71年一時芸能界を引退したが,73年《マイ・ウェーMy Way》でカムバックした。映画出演は,ほかに《錨を上げて》(1945),《踊る大紐育(ニユーヨーク)》(1949),《黄金の腕》(1955),《荒野の三軍曹》(1962),《七人の愚連隊》(1964)などがある。
執筆者:中村 とうよう
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アメリカのポピュラー歌手、映画俳優。ニュー・ジャージー州生まれ。父はイタリア移民。1933年ビング・クロスビーの実演を聞いて歌手を志し、35年にプロとして歌い出した。39年ハリー・ジェームズ楽団に参加、翌年トミー・ドーシー楽団に移り、42年に独立。独特の甘美な歌唱でボビー・ソクサー(女学生)のアイドルとして圧倒的な人気を得た。40年代末からは疲労と私生活の問題から不調になり一時人気も下降したが、50年代に入って自身の新しいスタイルを確立、名実ともにアメリカを代表する大歌手となり、多くの歌手に影響を及ぼした。映画出演は41年からで、ミュージカルを中心に数多くの作品があるが、53年の『地上(ここ)より永遠(とわ)に』でアカデミー助演男優賞を受賞してからは、演技派スターとしても活躍。61年にリプリーズ・レコード会社を設立した。69年には、『マイ・ウェイ』が大ヒットした。71年春に引退を表明したが73年秋に復帰。95年まで歌い、芸能界の帝王とよばれる実力と貫禄(かんろく)を示し続けた。1960年の初来日以来、94年まで日本訪問は6回を数えた。
[青木 啓]
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