ストックホルム(その他表記)Stockholm

翻訳|Stockholm

デジタル大辞泉 「ストックホルム」の意味・読み・例文・類語

ストックホルム(Stockholm)

スウェーデン王国の首都。バルト海に面し、中世から商業都市として発達。ノーベル賞授賞式の行われるコンサートホールがある。人口、行政区79万(2007)。

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精選版 日本国語大辞典 「ストックホルム」の意味・読み・例文・類語

ストックホルム

  1. ( Stockholm ) スウェーデン王国の首都。メーラレン湖がバルト海北部に注ぐ位置にあり、一二五五年に建設されてから商港として発展。多くの島や半島からなる美しい都市で、ストックホルム大学やノーベル賞授賞式の行なわれるコンサートホールなどがある。

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改訂新版 世界大百科事典 「ストックホルム」の意味・わかりやすい解説

ストックホルム
Stockholm

スウェーデンの首都で同名県の県都。人口77万(2005)。面積186.2km2。年平均気温は6℃,月平均気温は2月-5.4℃,7月17.4℃。同国の中央東部に位置し,内陸のメーラル湖とバルト海に通じるサルトシェーン(〈塩海〉の意)の接点付近を占める。同国の行政,文化,経済,商業の中心地で,また北欧の最大都市でもある。

 市の中心街はノーベル賞授賞式の行われるコンサート・ホール前のヘーHö広場から国会議事堂近くのセルゲル広場を中心とした約1km四方の部分で,そこに商店街,百貨店,銀行,中央駅,中央郵便局,王庭公園,王立図書館,オペラ座,王立劇場,教会,文化会館,官庁などが集中している。都市を南北に二分するメーラル湖とサルトシェーンとの間にストックホルムの発祥地といわれる小島のガムラスターンGamla Staden(〈古都〉の意。また多くの橋が架設されているため橋間の町ともいわれる)があり,王宮,証券取引所,港のほかに歴史的建造物の貴族会館,ドイツ教会,ストゥール教会を擁し,小島全体が歴史博物館の様相を呈している。ストックホルムは全国一の高等教育機関の所在地で,ストックホルム大学,カロリン医科大学,歯科大学,福祉大学,工科大学,芸術大学,体育大学のほか多数あり,また文化施設でも随一で国立美術館,歴史博物館,東アジア美術館,北欧博物館,海洋史博物館など約30以上を数え,なかでも世界で初めて古い民族的建造物を一堂に収集したスカンセン野外博物館やバーサ号博物館は有名である。郊外には17世紀に完成した北欧のベルサイユと称されるドロットニングホルム宮殿,グスタブ3世パビリオン,ノーベル賞受賞者の晩餐会が開かれる優美な市庁舎など歴史的建築物も多い。

 新都市建設も盛んで,1930年のストックホルム国際見本市で同市の都市計画の理念である,太陽,空,光,緑を主軸とした機能主義が公表され,脚光を浴びた。その後ファシュターFarsta,ベッリングビーVöllingby,テービーTäby,シャルホルメンSkärholmenなどの近郊衛星都市が次々と建設されて世界の耳目を集め,最近ではハッロンベルイェンHallonbergen(1973竣工)が有名で,公共施設完備のほか,老人ホームも併設され,若者と老人が交流できるように都市計画がなされたが,合理主義,機能主義を強調するあまり人間性に欠けるとの批判がある。

ストックホルムの名が初めて史料に登場するのは1252年である。しかしそれ以前に,11世紀ころから内陸部の政治・経済の中心地であったウプサラ,シグトゥーナがバルト海に進出するのに同地を通過するようになり,12世紀末にシグトゥーナが海賊に焼き打ちされたのを機会にバルト海への出入口であるストックホルムに見張塔が建てられ,徐々に集落ができていったといわれる。1250年代の初めに,当時の最大の実権者ビルイェール・ヤールが同地に町を建設し,経済振興を図るためドイツ商人を多数招いた。後に彼らは都市行政を牛耳るまでになったが,都市発展に努め,同国屈指の交易中心地に発展させた。スウェーデン国王の戴冠式はウプサラ大聖堂で行われるのが常であったが,1336年にマグヌス・エリクソン王がストックホルムのストゥール教会で初めて挙式し,政治色を強めることになった。また同王により14世紀の中ごろに同市を対象に都市法が公布されて以来,絶大な特権を得て名実共に交易の中心として発展した。

 16世紀デンマークから独立をかちとったグスタブ1世バーサ王は,ストックホルムを〈全国の主都および錠前〉にすることを言明したが,まだ政治的・経済的に機が熟さず,議会も同地以外で開催されることが多かった。17世紀のグスタブ2世アドルフの海外遠征により,バルト帝国の基盤が固められると共に莫大な富が流入し,また国王はオクセンシェーナ宰相の協力を得て政治・経済などの大改革を断行し,この時代に行政府と定められた。貴族支配の確立にともなって多数の貴族が移り住み,その殿堂である貴族会館がオランダ・フランス風のバロック様式で建立され,ガムラスターンに現存している。それに隣接する小島のリッダルホルメンに,オクセンシェーナなど当時の有力貴族が甍(いらか)を争い,また王立上級裁判所も建てられた。初代知事のフレミングKlas Larsson Fleming(1592-1644)は1630年ころにフランスのルネサンス様式をならって都市計画をすすめ,同都市の原形を築いた。97年,ストックホルム城が焼失したが,1727年に当時の粋を集めて再建が始まり,18世紀を代表する建築物として現存している。18世紀にはグスタブ3世が啓蒙君主として学芸の振興にあたり,科学院,学士院,オペラ座などを創設して,学芸の都となった。工業都市としても栄えたが,19世紀後半に近代工業化が進むにつれて製造業は郊外に移転し始め,20世紀には行政,商業の中心地となり,現在にいたる。1912年日本が初めて参加した第5回オリンピック大会が開催された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ストックホルム」の意味・わかりやすい解説

ストックホルム
すとっくほるむ
Stockholm

スウェーデンの首都。スウェーデン南部、メーラレン湖とバルト海を結ぶ川の両岸と数個の島々を占め、一名「北欧のベニス」「メーラレン湖の女王」と称される。面積187.6平方キロメートル、人口75万4948(2001)。19の近隣コミューン(自治体)をあわせて大ストックホルムを形成し、面積3456平方キロメートル、人口182万2224(2000)に及ぶ。市の北部は花崗(かこう)岩の緩やかな丘陵で、氷河のモレーン(氷堆石(ひょうたいせき))と粘土が谷間を埋める。南部は片麻(へんま)岩が亀裂(きれつ)谷によって刻まれており、メーラレン湖の南岸に際だった断層がみられる。中央部には南北にエスカー(堤防状の氷河地形)の高みがある。市は31の教会区と116の小地区に分割されている。東西南北の要所に配された旧税関より内側を市内とし、主としてオフィス街、商店街と住宅からなる。その外側は工業地帯、緑地帯で、また数多くの住宅団地が配され、バス、地下鉄、鉄道網によって連絡している。市の中心部より北北西約42キロメートルのアーランダ空港によって、諸外国および国内二十数か所の都市と通じている。フィンランドとは定期連絡船で結ばれる。夏季は市内の各所間にボート連絡がある。

 市はイョーテボリに次ぐスウェーデン第二の港湾施設をもつ輸出入港である。また工業都市でもあり、機械、電子、通信機、食品などの工業や出版が行われる。王宮と大伽藍(がらん)のあるガムラスタン(旧市街)はストックホルム発祥の地で、中世のおもかげを残している。これより北部のノールマルム地区は旧市街に続いて官公庁が建ち並び、中心街はシティとよばれ、ノーベル賞授賞式で知られる音楽堂を中心に繁華街が広がる。北東のイョステルマルム地区は高級住宅地で、東のジュールゴーデン地区は多くの博物館、美術館のある文化公園である。また、南のソーデルマルム地区は商店・住宅街で、西のクングスホルメン地区は住宅・官公庁街となっている。ストックホルムには90を超える各種の博物館があり、総合大学、工科、商業、医科などの大学もある。オペラ座、王立・市立劇場をはじめ多くの劇場をもち、文化センターはつねに斬新(ざんしん)な催しで話題を提供する。各種スポーツ場も完備し、メーラレン湖は、夏季には水浴、ボート遊び、魚釣りの場となり、冬季はスケート場となる。また冬季には緑地帯の各所がスキー場と化す。住宅団地は1950年代建設の西のベーリングビー、南のファーシタが、住宅と職場とサービスを1か所にしたモデル団地として国際的注目を浴びた。1970年代建設の団地シャールホルメン、テンシタは、人口増加の著しい移民と低所得者にあてられ、麻薬、アルコール、バンダリズム(破壊行為)など多くの問題を投げかけている。

[中島香子]

歴史

市の起源は、一般には1255年ごろビルイェル・ヤールが、現ガムラスタンにあたる島の上に、海上からの侵入を防ぐために築いた城塞(じょうさい)にあるとされている。その後、城塞の周囲に町が形成され、ハンザ同盟との結び付きにより、港町として急速に発達した。そのため中世を通じてドイツ人の居住者が多く、ドイツ文化の影響を強く受けた。1356年スウェーデンで最古のギルドが組織され、14世紀末には同国最大の都市となっていた。しかし、初めて「首都」という呼称が使われたのは1435年のことである。1634年、憲法により正式に王国政府の所在地とされた。17世紀と19世紀後半以後の2回、とくに著しい人口増加が生じている。ストックホルム市は従来は県と同格の特別市であったが、1971年以後ストックホルム県に属する自治体となった。

[本間晴樹]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ストックホルム」の意味・わかりやすい解説

ストックホルム
Stockholm

スウェーデンの首都。ストックホルム県の県都。メーラレン湖とバルト海のサルトシェーン入江との接点に位置し,市街地は多くの小島や半島の上にできている。古来,メーラレン湖の女王,水に浮かぶ都,北方のベネチアと称賛された。気温は1月が-2.9℃,7月が 17.8℃。平均年降水量は 552mm。港湾,空港,鉄道,バス,地下鉄などが完備し,交通網の要衝。スウェーデンの政治,文化,経済,商業の中枢である。政府,市庁舎,ストックホルム大学,各種専門学校が置かれ,民族,歴史,自然,美術の各博物館,二つの交響楽団がある。主要な産業は,卸売り,金融・保険,造船,織物,化学,自動車製造,電機製造,出版など。中世の年代記によれば,町の建設は 1250年頃活躍したビルイェル・ヤルルに負う。中世にはハンザ同盟の支配下でバルト海沿岸の交易の中心地として繁栄。 17世紀に入ってスウェーデンが北欧の主導権を握ると,ストックホルムも常設首都として急速に発展,確固とした地位を築いた。 1850年から第3の発展期を迎えたのち,1950年以降都市再開発が推進され,市の中心は高層のオフィスや遊歩街,セルイェル通りなどで知られるショッピング・ビジネスセンターとして大きく変貌。郊外の工業都市スンドビュベリ,ソールナや,近代的都市計画によって建設されたファルスタ,ベリングビーなどの住宅都市と連接して大都市圏を形成している。中世の名残りをとどめるガムラスターデン (旧市街) ,ノーベル賞授与式が行なわれる市のコンサートホール,市庁舎,クララ聖堂,リッダルホルム聖堂など旧跡も多く残っている。人口 81万120(2009)。

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百科事典マイペディア 「ストックホルム」の意味・わかりやすい解説

ストックホルム

スウェーデンの首都。同国南東部,バルト海岸の港市で,入江と湖水に囲まれ〈北欧のベネチア〉と呼ばれる。北緯59°にあるが気候は温和。中世以来商業,交通の中心地で,港としてはエーテボリに次ぐ。造船・機械・電気器具・自動車・ゴム工業が行われる。市街の中心は,メーラル湖の南西端にある小島で,議事堂,王宮,13世紀の教会などがある。ほかにノーベル賞授賞式が行われる市庁舎,大学(1877年創立),スカンセン民俗博物館がある。1255年に創建され,木材集散地,商業都市として発展,1634年首都となった。1870年代から近代都市としての開発が進み,世界有数の環境整備都市となっている。1912年第5回オリンピック大会開催地。両大戦中は中立国の首都として重要な役割を演じた。1950年にはここで平和擁護世界大会委員会が開かれ,核兵器廃絶をうたったストックホルム・アピールに世界各地から5億もの支持署名が集まった。88万1235人(2012)。
→関連項目スウェーデンストックホルムオリンピック(1912年)メルボルンオリンピック(1956年)

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ストックホルム」の解説

ストックホルム
Stockholm

スウェーデンの首都。バルト海に臨む港市で,中世から商業が栄えた。ノーベル賞の授賞式が同市の公会堂で行われることや,ストックホルム・アピールなどの国際的行事の地として知られる。

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