チベット動乱(読み)チベットドウラン

デジタル大辞泉 「チベット動乱」の意味・読み・例文・類語

チベット‐どうらん【チベット動乱】

中国によるチベット統治に対して1956年に勃発した、チベット人による独立運動。中国は1950年にチベット全域を武力併合協定に違反してチベット北部の社会主義化を強行したため、反発した民衆が蜂起した。中国の人民解放軍が弾圧を強める中、1959年にダライ=ラマ14世がチベットを脱出し、インド北部に亡命政府を樹立した。
[補説]動乱から約50年を経た2008年、ラサでチベット独立を求めて騒乱が発生。暴動は間もなく鎮圧されたが、チベット民族が多く住む中国四川省をはじめ世界各地で、中国に対する抗議運動が展開された。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

山川 世界史小辞典 改訂新版 「チベット動乱」の解説

チベット動乱(チベットどうらん)

1911年の辛亥(しんがい)革命以降45年まで,チベットは実質的には独立に近い状態にあった。しかし49年,中華人民共和国が成立すると,中国共産党指導部は中国への統合を強化しようとした。56年にチベット自治区準備委員会を発足させたが,各地でチベット人の反乱が起こった。こうしたなかで59年3月,ダライラマ14世はインドへ亡命中国軍はチベット全土を制圧したが,十数万のチベット人難民が生じた。この一連過程を「チベット動乱」という。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

今日のキーワード

ベートーベンの「第九」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android