日本大百科全書(ニッポニカ) 「ノースロップ・グラマン」の意味・わかりやすい解説
ノースロップ・グラマン
のーすろっぷぐらまん
Northrop Grumman Corp.
アメリカの総合軍需企業(本社カリフォルニア州ロサンゼルス)。1994年、航空宇宙企業の中堅ノースロップ社がグラマン社を吸収合併して誕生した。
前身のノースロップ社は、天才的航空技術者といわれたジョン・ノースロップJohn Knudsen Northrop(1895―1981)が、いくつもの会社で設計者を務めた後、1939年にカリフォルニア州バーバンクに設立した会社である。ノースロップ社の出世作は1942年に初飛行したレーダー装備の双発夜間戦闘機P-61ブラックウィドウだが、ノースロップ個人は水平尾翼のない無尾翼機にかねてより強い関心をもっていて、無尾翼爆撃機XB-35(1946年初飛行)、XB-49(1947年初飛行)などを試作したが、生産はされずに終わっている。
ジョン・ノースロップが1953年に引退し経営陣が交代すると、ノースロップ社は技術追求よりも内外への売り込みに熱心な政治的会社へと変身していった。同社が自社費用で開発した軽快な双発超音速機N-156Tは、アメリカ空軍で高等練習機T-38タロンとして採用された。姉妹機N-156Fも国防省の海外軍事援助用戦闘機に選ばれて、F-5Aフリーダム・ファイター、F-5Eタイガー2の名で大量生産され、アメリカの同盟諸国でも広く使用された。
しかしノースロップ社は1970年代なかば、アメリカ空軍の軽戦闘機計画の受注契約をめぐって他社に敗れ、またF-5の改良版F-20を採用する国もなかった。大きな期待をかけた無尾翼のステルス爆撃機のB-2スピリットも、あまりの高値に21機の生産にとどめられるなど、1980年代以降は行き詰まりもみえてきた。
冷戦の終焉(しゅうえん)とソ連邦崩壊で軍需産業に再編の嵐が吹き荒れた1990年代、ノースロップも艦上機の名門グラマンとの合併で生き残りを図った。その後ノースロップ・グラマン社はボート・エアクラフトVought Aircraft Co.(1994)、ウェスティングハウスの軍用エレクトロニクス部門(1996)、リットン・インダストリーズ(2001)、ニューポート・ニューズ造船社Newport News Shipbuilding(2001)、TRW(2003)といった同業大手の買収を進め、宇宙船から潜水艦までを手がける総合軍需技術企業となった。とくに傘下のニューポート・ニューズ造船所は、原子力空母を建造できるアメリカで唯一の造船所であり、インガルス造船所はアメリカ海軍の水上戦闘艦を建造していた。
2011年3月、造船事業が分社化され、ハンチントン・インガルスHuntington Ingalls Industries, Inc.が設立された。
ノースロップ・グラマン社の2009年の総売上げは約338億ドル、営業収益は約28億ドル。
[野木恵一]
『『Super fighter series ノースロップF-5/F-20』(1985・航空ジャーナル社)』▽『ビル・ガンストン著、岡部いさく訳『イラストレイテッド・ガイド1 現代の戦闘機』(1988・ホビージャパン)』▽『石川潤一著『BLACK FIGHTER 黒い戦闘機の開発計画――ブラック・ファイターは湾岸戦争でどう闘ったか』(1991・グリーンアロー出版社)』