アメリカの映画音楽作曲家、指揮者、ピアニスト。ニューヨーク生まれのユダヤ人。幼いころから音楽の天分を示し、ピアニストを目ざしていたが、13歳でアーロン・コープランドに才能を高く認められ、ピアノ・レッスンのための奨学金を得る。ロジャー・セッションズとシュテファン・ボルペStefan Wolpe(1902―1972)に作曲を師事したほか、ニューヨーク大学でも作曲を学んだ。第二次世界大戦中は兵役につき空軍軍楽隊のための編曲作業に従事、その間、グレン・ミラー楽団の楽曲編曲にもたずさわる。のちに空軍向けのラジオ番組の音楽の作曲をするようになり、除隊までに80本以上の番組を手がけた。除隊後はコンサート・ピアニストとして活動したが、1949年、イスラエル建国記念のラジオ番組の音楽を作曲、これが当時のコロンビア映画副社長シドニー・バックマンSydney Buchman(1902―1975)に注目され、バックマンの招きでウェスト・コーストに移住。1952年の『突然の恐怖』の音楽で注目を集めるようになり、しばらく低予算映画の仕事を続けた。
バーンスタインの大きな転機となったのは1955年の『黄金の腕』のスコアである。ジャズ・トランペッターのショーティ・ロジャーズShorty Rogers(1924―1994)の協力を得て、ウェスト・コースト・ジャズの要素を大胆に取り込んだこの映画音楽はハリウッドの映画音楽全体に大きな衝撃をもたらし、アカデミー作曲賞にノミネートされたほか、サウンドトラック盤(MCA)がLPチャート2位を記録するなど、一般聴衆の間にもバーンスタインの名が広く知れわたるきっかけとなった。1956年には史劇大作『十戒』で大がかりなシンフォニック・スコアを作曲、名実ともにハリウッドのトップクラスの作曲家となった。200本以上におよぶ膨大な作品を作曲したバーンスタインのスタイルを要約するのは困難であるが、恩師コープランドのスタイルを踏襲した作品群が知名度も抜群に高く、演奏の機会も多い。すなわち、コープランド風のアメリカニズムとメキシコ音楽の要素をダイナミックなシンフォニック・スタイルに融合させ、西部劇音楽のスタイルを根底から変えた『荒野の七人』(1960)、やはりコープランドのアメリカニズムをオーケストラの音色という観点から再構築した『アラバマ物語』(1962)、軍楽隊のブラスセクションをパロディー化した『大脱走』(1963)などがそれである。1967年には『モダン・ミリー』でアカデミー最優秀作曲賞を受賞。また、オンド・マルトノ奏者ジャンヌ・ロリオJeanne Loriod(1928―2001)を独奏者に迎え録音した『ヘビー・メタル』(1981)でオンド・マルトノの魅力に開眼し、バーンスタインの作風が大きく変化したことは注目に値しよう。『ゴーストバスターズ』(1984)から『救命士』(1999)までの数多くの作品にオンド・マルトノを使用しているほか、演奏会用作品「オンド・マルトノと管弦楽のためのコンチェルティーノ」(1983)を作曲している。
『マイ・レフトフット』(1989)や『ランブリング・ローズ』(1991)といった人間ドラマから『僕たちのアナ・バナナ』(2000)のようなコメディ作品まで、ジャンルを問わず作曲依頼を引き受ける徹底したプロフェッショナリズムを貫いていることも特徴。『ケープ・フィアー』(1991)以降、マーティン・スコセッシの監督作を手がけることが多いことでも知られる。
1963年から6年間、アメリカ映画芸術科学アカデミー副会長を務めるなど要職を歴任。自作以外の映画音楽の保存、普及にも積極的で、とりわけバーナード・ハーマンの未発表作品を紹介した功績は大きい。指揮者としての活動も多く、ギター奏者クリストファー・パークニングChristopher Parkening(1947― )のための「ギター協奏曲」(1999)の指揮・録音が大きな注目を集めた。
[前島秀国]
アメリカの指揮者、作曲家、ピアノ奏者。マサチューセッツ州ローレンスに生まれる。ハーバード大学で作曲をピストンに師事、のちにカーティス音楽院で指揮をライナー、ピアノをベンジェロバ、作曲をトンプソンに学ぶ。1943年ロジンスキーに認められ、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団のアシスタント指揮者になり、58~69年、同交響楽団の音楽監督を務める。数多くの客演指揮活動、演奏旅行、録音により20世紀後半の代表的指揮者としてアメリカ音楽界に君臨した。作曲家としてはミュージカル『ウェスト・サイド物語』(1957)がもっとも有名だが、ほかにユダヤ性を強く打ち出したミュージカル『キャンディード』(1956)や交響曲第三番「カディッシュ」(1961~63)などもよく演奏される。
[細川周平]
『バーンスタイン著、吉田秀和訳『音楽のよろこび』(1966・音楽之友社)』▽『岡野弁訳『バーンスタイン 音楽を語る』(1972・全音楽譜出版社)』▽『B・バーンスタイン著、須加葉子訳『バーンスタイン――その音楽と家族』(1986・新潮社)』▽『P・グランデヴィッツ著、武石みどり訳『レナード・バーンスタイン――無限の可能性』(1986・音楽之友社)』
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アメリカの指揮者,作曲家。ハーバード大学,カーティス音楽学校に学ぶ。ミトロプーロス,ライナー,クーセビツキーら大指揮者に教えられ,1943年ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の副指揮者,53年以後常任指揮者となり,58年以降音楽監督。70年同楽団の桂冠指揮者の称号を得て自由に各地に客演。作曲家としてはミュージカル《ウェスト・サイド物語》(1957)ほか交響曲,ピアノ曲など多数があり,またピアノ奏者としても活動した。情熱的な指揮で知られ,ニューヨーク・フィルと組んだマーラーの交響曲全曲の録音など,優れた業績を残している。同楽団とともに1961年初来日。
執筆者:大木 正興
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