プルースト(英語表記)Marcel Proust

精選版 日本国語大辞典 「プルースト」の意味・読み・例文・類語

プルースト

[一] (Joseph Louis Proust ジョゼフ=ルイ━) フランスの化学者。ベルトレの説に反対し、二つの元素間の組成変化に定比例の法則があることを証明した。(一七五四‐一八二六
[二] (Marcel Proust マルセル━) フランスの小説家代表作「失われた時を求めて」で、人間の意識の深みをさぐりつつ、高次な心理・感情・感覚による芸術空間を小説形式で創造し、二〇世紀文学に大きな影響を与えた。(一八七一‐一九二二

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「プルースト」の意味・読み・例文・類語

プルースト(Marcel Proust)

[1871~1922]フランスの小説家。独自の手法で、人間存在と外界との相関、意識や記憶の本質を追求した長編小説失われた時を求めて」は、20世紀文学に大きな影響を与えた。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「プルースト」の意味・わかりやすい解説

プルースト
Marcel Proust
生没年:1871-1922

20世紀文学に変革をもたらしたフランスの作家。父はカトリックで医学界の重鎮。母はユダヤ人の金融業者の娘。反ユダヤ主義が急速に広まった19世紀末フランスでのこの母方の家系と,母の過度の愛情が,プルーストの素質決定に大きく作用したと思われる。2歳下の弟は後に父の後を継いで医学を選ぶが,プルーストは幼いときから母に似て文学好きだった。とりわけ9歳のときの激しい喘息の発作以来,生涯にわたりこの病気に悩まされ,そのために人並みの職業につけなかったことも手伝って,やがて彼は文学を天職と見なすようになる。その上,彼は20歳を過ぎるころから,同性愛者としての傾向を自覚するようになり,そのことが彼の後の作品に特異な主題と雰囲気を与えるようになる。

 若い頃から,プルーストは社交界に出入りしているが,そこは彼にとってスノビスムを満足させる場所であるとともに,屈強な観察の場所でもあった。処女出版《愉しみと日々》(1896)は,同人誌に発表した文章に新たな詩文を書き加えたもの。また1895年ごろから,自分の分身のごときジャン・サントゥイユという人物を主人公とする長編に取り組むが,完成に至らず放棄する。ついでジョン・ラスキンに傾倒し,多くのエッセーと,ラスキン作《アミアンの聖書》《胡麻と百合》の翻訳とを発表。1903年に父を,05年に母を失い,一時は失意のどん底に陥るが,立ち直って08年ごろから,さまざまな作家の模作による批評を試みるとともに,サント・ブーブの方法を批判すべく多くのノートや断章を執筆する。これが後の大作《失われた時を求めて》を準備することになる。プルーストの創作の根底にはこのように,厳密な批評意識と方法論がひそんでおり,それが彼をして,象徴派以後のフランス文学の最も正統的な作者たらしめたのである。

 病身で神経質なプルーストは,この頃,自分の部屋をコルク張りにして外部の音を遮断し,日夜創作に励んだあげく,《失われた時を求めて》はいったん完成し,第1編が刊行されたが(1913),第1次大戦のために出版は中断される。大戦中にプルーストは多くの加筆を行い,作品は大幅に膨張。戦後,第2編《花咲く乙女たちのかげに》(1919)がゴンクール賞を獲得し,作者の名声は大いに上がる。健康がますます衰えたプルーストは,けんめいに作品の完成に励むが,第4編までを出版して第5編の校正刷りにとりかかっていた段階で,ついに力尽きる。したがって,全7編の大作の第5編以後は,未定稿のまま作者の死後に出版された。

 プルーストの一生は,この未完の作品に収斂される。またその作品は,ひとりの作家が自分の全存在を虚構化する試みということができる。したがって自伝的な要素も強いが,同時にそこには小説による救済,小説による実人生の正当化の契機も含まれており,その意味においてもプルーストの作品は,小説の根本問題を後世に投げかけたものである。

 日本の現代文学に与えた影響も大きいが,とりわけいち早くすぐれたプルースト論を書いた堀辰雄や,《方舟》グループの作家たち(とくに初期の中村真一郎)には,その影響が顕著な形であらわれている。
執筆者:

プルースト
Joseph Louis Proust
生没年:1754-1826

フランスの化学者。父親の薬局を継ぐべく薬学を学んだが,パリに出て病院の薬剤師となった。しかし,途中の5年間の一時帰国を除き,24年間,スペイン(おもにマドリードセゴビア)において物理,化学,鉱物学等を教授した。おもな研究はスペイン滞在中になされたが,金属の酸化物,硫化物定量分析に関するものが多い。帰国後,アカデミー・デ・シアンスの会員となる。

 現在プルーストの法則として知られている〈定比例の法則〉の発端は,鉄はそれまで考えられていたように,ある範囲内ではどんな割合でも酸素と結合するのではなく,2種の酸化鉄しかないことを確かめたことにある(これは1794年の《ベルリン青の研究》という論文で発表された)。19世紀の初め,この法則の是非をめぐって,C.L.ベルトレと論争を行った。このほか,銅の化合物の分析から水酸化物という新しい化合の形を発見してもいる。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「プルースト」の意味・わかりやすい解説

プルースト

フランスの作家。父アドリアンは衛生局総監,パリ大学衛生学教授。母はユダヤ系商家の出。9歳から生涯喘息(ぜんそく)に苦しめられた。パリ大学法科入学後,社交界や文学サロンに出入りし,抒情的な短文集《愉しみと日々》(1896年)を出版したり,ラスキンを翻訳して文学的模索を続けた。1905年最愛の母の死が転機となって,大作《失われた時を求めて》を構想,病身をおして死の数日前まで執筆を続けた。全7編のうち第5編以後は死後の刊。この作品は20世紀の小説の新時代を開き,内外の作家に多大な影響を与えた。他に未完の自伝的小説《ジャン・サントゥイユ》,評論集《サント・ブーブに反論する》など。
→関連項目NRFカペー弦楽四重奏団ガリマール[会社]ゴンクール賞ジェームズ小説中村真一郎ネルバルプティリビエール

プルースト

フランスの化学者。1789年スペインのマドリードの王立実験所長。定量分析によって1799年定比例の法則を提出。化合物の組成は連続的に変化するとするベルトレとの長い間の論争は有名。
→関連項目ベルトレ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

化学辞典 第2版 「プルースト」の解説

プルースト
プルースト
Proust, Joseph Louis

フランスの化学者.薬剤師であった父親から,後を継ぐため薬学を学んだが,パリに出て化学を学び,サルペトリエールの病院に薬剤師として一時期職を得た.1786年スペインへの2度目の招待を受け,はじめはマドリッドで教えた後,セゴビアの砲兵学校の化学教授となった.このころから,鉄の酸化物の定量分析研究をはじめ,化合物の組成比が変化することはないことを実験によって示そうとした.いわゆる定比例の法則である.そこから,化合物の組成比は可変であるとするC.L. Berthollet(ベルトレ)との論争がはじまった.当時は,結合と混合の定義のあいまいさもあって,定比例の考えはすぐには支持されなかった.1806年にフランスに帰国したが,晩年の1816年になって,ようやくフランス学士会員に選ばれた.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プルースト」の意味・わかりやすい解説

プルースト
Proust, Marcel

[生]1871.7.10. オートゥイユ
[没]1922.11.18. パリ
フランスの小説家。父は医学博士,母はユダヤ系。幼年時代母と祖母に溺愛され,病的ともいえる鋭敏な感受性を示した。早くから上流社交界に出入りする一方,文学に熱中し,優雅な小品を雑誌に発表,ラスキンの芸術哲学に傾倒した。 1903,05年に相次いで両親を失い,持病の喘息が悪化したことを契機に,コルク張りの部屋にほとんどこもりきりになって,7巻 15冊から成る大河小説『失われた時を求めて』 À la Recherche du Temps Perdu (1913~27) を著わした。この作品は,人間の内面の「意識の流れ」を綿密に追うことにより従来の小説概念を大きく変革し,20世紀フランス文学最高の傑作といわれている。

プルースト
Proust, Joseph-Louis

[生]1754.9.26. アンジェ
[没]1826.7.5. アンジェ
フランスの化学者。パリの硝石製造工場の主任薬剤師を経て,スペインに招かれ,マドリードの王立実験所所長 (1799~1806) 。多数の化合物の成分元素の定量分析を行い,起源がどうあれ同種の純粋化合物の成分元素は一定の比率をなすことを証明 (1799) ,J.ドールトン定比例の法則の確立に寄与した。定比例の法則をめぐる C.ベルトレとの論争は有名。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「プルースト」の解説

プルースト
Marcel Proust

1871〜1922
フランスの小説家
長編小説『失われた時を求めて』で,貴族社会の退廃した心理を通じて当時のフランス社会の変移を描き,潜在意識を形象化する独自の手法によって人間性の探求に新生面を開いた。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「プルースト」の解説

プルースト
Marcel Proust

1871~1922

フランスの作家。青年時代を社交界と文学趣味に過ごしたが,1905年頃両親の死と持病の悪化を機に社会と絶縁し,一室に閉じこもり『失われた時を求めて』の執筆に全力を傾けた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のプルーストの言及

【定比例の法則】より

…一つの化合物に含まれる成分元素の質量の比はつねに一定であるという法則で,1799年J.L.プルーストにより見いだされた。この法則が成り立つのは,原子量の一定な成分元素がつねに一定の原子数の比で化合物をつくるからである。…

【失われた時を求めて】より

…フランスの作家プルーストの,自伝的要素を盛りこんだ作品で,名前も明記されていない語り手の物語る一人称小説。1913‐27年刊。…

【心理小説】より

…ポーの諸短編が素描した〈あまのじゃく〉の心理は,ロシアのドストエフスキーによって無意識の深淵にまで追求され,心理分析小説の前提である古典力学的決定論を完全に無効にした。こうした傾向を集約した人間学の新しい理論として登場したのが,フロイトの精神分析学であるが,それと呼応するかのように,プルーストは畢生の大作《失われた時を求めて》(1913‐27)で,〈私〉の独白に始まる自伝的回想が,そのまま写実的な一時代の風俗の壁画でもある空間を創造して,心理小説に終止符を打った。人物や家屋や家具の純粋に視覚的な描写の連続のしかたが,そのまま観察者=話者である主人公の嫉妬の情念の形象化でもあるようなロブ・グリエの《嫉妬》(1957)は,プルーストの方法をいっそうつきつめた成果であるが,その先駆者は《ボバリー夫人》(1857)のフローベールにほかならない。…

【男色】より

…プラトンを教皇としソクラテスを使節とする善なる教会の従僕であることを誇ったP.ベルレーヌとその相手のJ.N.A.ランボー,民衆詩人W.ホイットマン,社会主義運動にひかれた詩人E.カーペンター,男色罪で2年間投獄されたO.ワイルド,S.ゲオルゲなどがとくに知られているが,彼らばかりではない。ゲーテは《ベネチア格言詩》補遺で少年愛傾向を告白し,A.ジッドは《コリドン》で同性愛を弁護したばかりか,別の機会にみずからの男色行為も述べ,《失われた時を求めて》のM.プルーストは男娼窟を経営するA.キュジアと関係していた。J.コクトーと俳優J.マレーとの関係も有名である。…

※「プルースト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android