翻訳|Berlin Wall
東西冷戦下の1961年、東ドイツ政府が西ドイツの飛び地だった西ベルリンへの自国民の流出を防ぐため建設した壁。全長155キロ、高さ約3・6メートルで、西ベルリンを取り囲むようにつくられた。東ドイツは既に西ドイツとの全長約1400キロの国境線を封鎖しており、ベルリンの壁の建設で両国間の全国境線を障害物で固めた。2重の壁の間には監視塔が置かれ、東ドイツ国境警備隊の兵士が巡回。西側に逃げようとして射殺されるなど、89年の崩壊までベルリンの壁では事故なども含めて約140人が命を落とした。(ベルリン共同)
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(椎崎亮子 フリーライター / 2009年)
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東西ドイツ分断の時代につくられた、旧西ベルリンを囲む壁。旧東ドイツ(ドイツ民主共和国)の首都であった東ベルリンから西ベルリンへの住民の流出を防ぐため、東ドイツ政府が1961年8月、アメリカ、イギリス、フランスが共同統治する西ベルリンを有刺鉄線等で物理的に封鎖。その後、1975年にはコンクリート製で高さ3メートル強の総延長155キロメートルの壁が完成した。東西陣営分断の象徴として、「ベルリンの壁」ということばが幅広く使われた。西ベルリンは東側における陸の孤島と化していたが、アメリカをはじめとする西側諸国の支援により、市民は豊かな生活を謳歌(おうか)することができた。壁を乗り越えて西へ逃げた東ドイツ市民は約5000人に上るが、約200人が国境警備兵の銃撃や地雷などで死亡したとされる。
1980年代末、ソ連ではゴルバチョフによるペレストロイカが行われ、東欧諸国では独裁政権への反発と民主化要求が高まり、東ドイツも例外ではなくなった。1989年11月9日、東ドイツ政府は国外旅行の自由化を発表。これを知って集まった東西ベルリン市民によって壁は壊され、東西冷戦終結の象徴的シーンとなった。その後、平和裏に壁が撤去され、翌1990年には東西ドイツの統一が実現し、東西ベルリンは統合して新たなベルリン市になった。壁の一部はいまでも当時の遺産として残され、ペイントを施されてギャラリーのようになっている。また壁の破片は、ベルリン土産(みやげ)として売られている。
[編集部]
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1961年8月13日,東ドイツ政府は突如ベルリン周囲と市内の東西境界線を遮断,特に東西間交通規制の抜け道になっていた市内の境界線には,その後5年間をかけて総延長約30キロに及ぶコンクリートの「壁」を構築した。89年11月9日開放され,その後撤去された。
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…このため,61年8月東ドイツ政府はついに,それまで往来の自由であったベルリンの東西間の境界を遮断した。ここに生まれたいわゆるベルリンの壁は,西側の反ソ・反東独の宣伝をさらに激しいものとし,東西間の緊張はますます高まった。これより先1955年の西ドイツの北大西洋条約機構(NATO)への加盟と,これに対抗する東ドイツのワルシャワ条約機構への加入によって遠のいていたドツ再統一は,ここにいたってほぼ絶望的なものとなった。…
…この年アデナウアーはソ連とも外交関係を樹立,ソ連抑留の捕虜の帰国に成功している。55年から61年(ベルリンの壁の構築)までの期間,西ドイツの西側統合はさらに進んだ。52年の石炭鉄鋼共同体の結成はフランス,ドイツ,イタリア,ベネルクス3国との協力関係をますます密にし,58年初頭にはEECの成立となる。…
…53年6月17日,東ベルリンでは〈労働ノルマ〉強化への反発に端を発した大規模な反政府暴動が起こるが,東西ベルリン間の交通はその後も依然自由であり,若年労働者を中心に東から西への亡命が相次ぎ,東ドイツ経済を大きく脅かした。このため61年8月12日から13日にかけ,東ドイツ政府は〈ベルリンの壁〉の構築を開始,東西ベルリンの交通を完全に遮断した。 総延長156kmに及ぶ壁により陸の孤島と化した西ベルリンの地位は,69年に自由民主党との連立内閣の首相となった社会民主党のブラント(1957‐66,西ベルリン市長)の下で進められた一連の〈東方外交〉により,ようやく安定したものとなった。…
… この間,ヨーロッパでは両軍事ブロックの対峙によって〈冷戦〉が制度化し,東西ドイツがその焦点となった。ことに1958年11月ソ連がベルリンの地位とドイツ統一について新提案を行って以降,ベルリン問題はヨーロッパでの〈冷戦〉の中心的課題となり,61年8月には〈ベルリンの壁〉の建設とともに国際危機を招いた。〈冷戦〉は第三世界にも拡大していった。…
※「ベルリンの壁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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