フランスの政治家。2017年、39歳の若さで第五共和政下8人目の民選大統領となった。
生まれは北仏アミアン。12月21日、医師の両親の間に誕生。イエズス会が運営する地元のリセ(後期中等教育機関)、次いでパリのリセ・アンリ4世に移り、同校を卒業。この間、文学や演劇に親しむ。のちパリ第十大学(ナンテール校)にて哲学・政治学を修め、マキャベッリについて修士論文、ヘーゲルに関する学位申請資格(DEA)論文を執筆。哲学者ポール・リクールの助手を務め、雑誌『エスプリ』の編集に携わった。地元のリセで出会った24歳年上の演劇教師ブリジットBrigitte Macron(1953― )とのち2007年に結婚している。
2001年にパリ政治学院卒。希望した高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)には入れなかったが、2004年国立行政学院(エコール・ナショナル・ダドミニストラシオン)を卒業後、財務監督官として公的キャリアを開始。2006~2009年には社会党員。国民議会や地方首長選への出馬を模索、検討する。2008年には行政官を辞し、ロスチャイルド銀行に入行して巨額の資金を動かした。
2012年から社会党オランド新大統領のもとで大統領府副事務総長を務め、2014年にはバルスManuel Carlos Valls(1962― )内閣の経済産業デジタル相に就任。いわゆるマクロン法(「経済の機会均等・経済活動・成長のための法律」)を成立させ、労働時間規制の緩和などによる投資・経済成長の促進に努めた。
2016年春、翌2017年の大統領選を視野に、自前の政治運動「前進!」を立ち上げた。同年夏、大臣職を辞し、左右対立の止揚、独仏協調・ヨーロッパ統合、労働法制の改革などを訴えた。主要政党が左右に両極化し、有力候補がスキャンダルにまみれるなか、2017年4月の第1回投票でトップにたち、5月決選投票で極右国民戦線マリーヌ・ル・ペン候補を大差で退け、任期5年の大統領に当選。さらに6月の議会下院選でも自党が圧倒的多数を得て、安定政権を手にした。
[遠藤 乾 2018年2月16日]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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