改訂新版 世界大百科事典 「三菱商事」の意味・わかりやすい解説
三菱商事[株] (みつびししょうじ)
日本を代表する最大の旧財閥系総合商社。三菱系企業集団の中核企業として金曜会をリードする。淵源は1881年郵便汽船三菱会社が長崎で石炭販売に進出したときに始まる。この三菱会社は,政商岩崎弥太郎の創始によるもので,事業の中心を海運から炭鉱経営へ移したのち,93年三菱合資会社となって三菱財閥の中核会社へと発展した。一方,三菱合資の商事部門は,96年売炭部として生産部門から独立し,99年営業部と改名され社外炭の扱いも始めた。日清・日露戦争のころから日本の貿易は飛躍的に伸びたが,三菱合資営業部は,当時の重要な輸出品の石炭販売を中心として,つぎつぎに海外拠点を設けて発展し,1918年三菱商事(株)となった(取締役会長岩崎小弥太)。三菱系企業の事業拡大とともに,三菱商事は取扱い品を多様化していったが,創立当時すでに総合商社の域に達していた。スタートにおいて三井物産に遅れて出発したわけであるが,太平洋戦争末期に至り,ようやく物産にほぼ肩を並べるまでになった。しかし,敗戦でGHQの指令(1947)により完全解体を命ぜられ,同年解散して清算に入り,50年旧三菱商事の第二会社として光和実業(株)が設立された(1952年〈財閥商号の使用の禁止等に関する政令〉等の廃止で三菱商事(株)と改称)。一方,旧三菱商事社員は20~30人単位で会社を設立,その数は139社にのぼった。戦後の不安定な経済環境下で倒産するものも少なくなかったが,50年朝鮮戦争が勃発,特需でうるおった。対日講和後は財閥解体措置の緩和で合併がすすみ,52年には不二商事(株),東京貿易(株),東西交易(株)の3社への第一次合同が実現し,再合同が遅れた三井物産(1959再合同)を抜いて日本最大の総合商社となった。そして54年,前述の三菱商事とこの3社が合併し,新しい三菱商事への大合同が実現した。以降,日本経済の発展とともに,三菱グループの結束力の強さを背景に発展,海外の資源開発でも実績をあげ,また近年は新技術への取組みにも意欲的である。資本金1901億円(2005年9月),売上高4兆1459億円(2005年3月期)。
執筆者:黒田 英夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報