三菱自動車工業(読み)みつびしじどうしゃこうぎょう

知恵蔵 「三菱自動車工業」の解説

三菱自動車工業

1970年に三菱重工業から分離独立した自動車製造会社。本社を東京に置き、MMCなどとも略称する。近年はミニバン軽自動車を軸に、電気自動車i-MiEVなども製造・販売している。2016年に燃費試験の不正が発覚し、社長らが辞任するに至った。この事態の収拾のため、日産自動車が同社を傘下に収め再建を進める。
同社の自動車生産の歴史は古く、同社の源流である三菱造船(後の三菱重工業)が大正年間には手作りながら量産車を世に出した。20台余が製造されたものの売れ行きは芳しくなく、軍用航空機生産などに注力するため、自動車生産からは撤退した。このため、同社の事実上の自動車生産は、太平洋戦争敗戦後に米国自動車メーカーとの提携によって開始された。1953年には同社を象徴する軍用四輪駆動車ジープの生産が始まり、60年前後には、軽三輪車や小型車コルト、軽自動車ミニカなどが相次いで発売された。また、バスや大型トラックなども同時期に生産・発売された。自動車生産の拡大と本格化により、同社は三菱自動車工業として三菱重工業から70年に分離独立している。自動車産業の発展の中で、同社も国内4位のメーカーとして大きく業容を伸ばすが、2000年に大規模なリコール隠しが発覚した。23年間にわたって10車種100万台以上もの各種車両について重大な不具合を運輸省(当時)に報告せず、会社ぐるみで隠していたというもの。社長らが辞任(後に逮捕)するも、古い欠陥を隠し続けたことで更なる死傷者を出すなどし、同社は信頼を失って経営不振に陥った。こうした経緯を経て、バス・大型トラックなどの製造は、ドイツのダイムラー傘下の三菱ふそうトラック・バス株式会社に移管された。その後、赤字の拡大で三菱重工業などの支援を受け、子会社として再建を図ったが自動車市場の冷え込みなどもあり、長く低迷が続いた。06年に電気自動車i-MiEVを発表、09年から量産を開始したが、未だ収益化には程遠い。11年には日産自動車と合弁で株式会社NMKVを設立し、軽自動車事業を移管していく方向性を打ち出した。このNMKVで開発した軽自動車の燃費を日産自動車が実際に測定したところ、国土交通省に届け出たデータとはかけ離れた値となり、16年に燃費試験の不正が発覚した。1991年以降製造のすべての車両で、燃費測定の不正やデータの改竄(かいざん)などが行われ、中には2割近い燃費の水増しが行われているものもあった。同社会長就任を予定する日産自動車のカルロス・ゴーン社長は、同社の度重なる不正に対し、再発防止の取り組みを支援するとして企業の自浄作用必要性を訴えている。

(金谷俊秀 ライター/2016年)

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百科事典マイペディア 「三菱自動車工業」の意味・わかりやすい解説

三菱自動車工業[株]【みつびしじどうしゃこうぎょう】

三菱系の自動車メーカー。戦前から自動車生産を始めていた三菱重工業が,1970年に米クライスラー社と提携(資本参加は翌1971年),自動車部門を分離し三菱自動車工業を設立。1984年三菱自動車販売を合併。設立直後からクライスラー社との米国独占販売契約が足かせとなり,成長の阻害要因となる。1980年代同社が業績不振に陥り関係を改善,1993年には資本関係を解消した。車種は軽四輪からトラック・バスまでもつが,乗用車主軸。RV車で定評がある。1999年トラック・バス事業の統合を目的に,スウェーデンのボルボ社との資本提携を発表。2000年7月,クレーム隠しとリコール隠蔽が発覚,60万台を超えるリコール(回収・無償修理)を行った。一方,2000年3月にダイムラー・クライスラーとの資本提携を発表。再建策としてトラック・バス部門を分離して2003年1月に三菱ふそうトラック・バスをダイムラー・クライスラーと設立したが,トラックのハブ問題でクレームが発生し,リコールが生じてさらに苦境に陥った。またリコール隠蔽とクレーム隠しに関して2004年5月から6月に元社長らが逮捕・起訴されるに至った。2004年5月,2300億円の赤字と岡崎工場閉鎖,1万1000人の人員削減,三菱グループ主導で4500億円の資本増強などを発表した。これに伴ってダイムラー・クライスラーは2005年三菱自動車工業の全保有株式を売却,現在は三菱重工業が筆頭株主となって経営を再建。2011年3月期販売台数101万台。本社東京,工場岡崎,京都,川崎ほか。2011年資本金6573億円,2011年3月期売上高1兆8284億円,当期純益156億万円。売上構成(%)は,自動車99,金融1。海外売上比率80%。
→関連項目現代自動車[会社]プロトン[会社]

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改訂新版 世界大百科事典 「三菱自動車工業」の意味・わかりやすい解説

三菱自動車工業[株] (みつびしじどうしゃこうぎょう)

大手自動車メーカーの一つ。1970年三菱重工業(株)の自動車部門を分離して設立された。会社としては新しいが,自動車生産の歴史は1917年の三菱造船(株)(三菱重工業(株)の前身)による乗用車三菱A型の生産にまでさかのぼる。これは21年以降生産を中止したが,32年にふそうB46型バスと軍用トラックの製造を再開した。34年に同社は三菱重工業(株)と改称,35年には日本で最初のディーゼルバスふそうBD46型を発売した。第2次大戦の激化とともに同社の自動車生産は縮小し,急速に軍需産業へと傾斜していった。戦後は46年にトラック,バスの生産を再開したが,50年に三菱重工業は3社に分割され,自動車部門は東日本重工業(株)と中日本重工業(株)が引き継いだ。64年にはこの3社が合同し三菱重工業(株)が再発足,70年の三菱自動車工業(株)設立に至るわけである。72年クライスラー社が資本参加した(これは自動車業界への外資提携第1号である)。アメリカでの販売権については,クライスラー社に独占的に与えていたが,82年に米国三菱自動車販売(株)を設立,独自の販売網をもつにいたった。アメリカにも工場を進出させ88年から生産を開始した。クライスラー社との資本関係は93年に解消したが,2000年にダイムラー・クライスラー社と資本提携した。一方でトラック・バス事業に関して,1999年スウェーデンのボルボ社と提携を開始した。2000年から04年にかけてクレーム隠しとリコール隠蔽が発覚,苦境に陥った。三菱グループ各社による約5000億円の資本増強,人員削減などによって再建を進めつつある。資本金6423億円(2005年9月),売上高2兆1226億円(2005年3月期)。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三菱自動車工業」の意味・わかりやすい解説

三菱自動車工業
みつびしじどうしゃこうぎょう
MITSUBISHI MOTORS CORPORATION

自動車メーカー。1970年三菱重工業の自動車部門を分離独立して設立された。翌 1971年にアメリカ合衆国のクライスラーと資本提携,1984年には三菱自動車販売を統合した。軽自動車からバス,トラックまでを手がけ,完全フルライン生産体制(→フルライン生産型)をしいた。2000年にはダイムラー・クライスラーとの間でも資本提携が成立,同社傘下での事業協力が本格化したが,2005年に関係を解消した。2003年トラック・バス事業を分社化して,三菱ふそうトラック・バスを設立。2016年日産自動車と資本業務提携に関する戦略提携契約を締結した。それによってフランス自動車メーカー大手のルノーと日産自動車のグループに加わり,3社連合(ルノー・日産・三菱アライアンス)となった。3社連合の乗用車販売台数は,2017年にフォルクスワーゲングループを抜き,世界首位となった。

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