世論は以前は〈輿論〉と表記され,古来,中国で輿(かご)かきのような庶民が政事について述べる意見や議論を意味した。表記が簡略化されて現在のように〈世論〉と改められるに従い,今日では〈せろん〉と発音され,世間一般の論と解されることも多い。また明治以降,この語が欧米の政治理論におけるpublic opinionの訳語として公論と並んで用いられるに従い,そこに政治が準拠すべき公衆publicの意見だとか世論調査に表れた有権者の態度だとかの欧米政治理論の意味がつけ加わり,その内容は多様化している。
為政者が被治者である臣下や民衆の要求や気持ちに留意して政治を行うべきだという考えは,古代ローマの〈民の声は神の声〉とか古代中国の〈人心収攬(しゆうらん)〉というような格言に表れているように,古くから存在していた。それは統治権が専制君主や封建領主に独占されていた時代においても,統治の基礎を確実にするために当然な政治的配慮だったといえよう。しかし,君主や領主の治政を批判し抵抗する被治者は,自分たちの要求に,支配者も否定しにくい正統性を付与しようと試みる。先にあげた古代ローマの格言が〈神〉を援用し,幕末の志士たちの主張した〈公儀輿論(公論)〉が儒教的な〈公共之天理〉にもとづくと主張されたのは,その典型的な例である。だが,絶対君主制や封建制を打倒して輿論や公論が正統性を獲得し,政治が世論にもとづいて行われることが原則とされるようになると,現実に何を世論の表現とみなすかが厳しい争点となって浮かび上がる。幕末の公儀輿論はしだいに,五ヵ条の誓文で正統化された公論の意味するものが,列侯会議を公儀政体としそこでの決定を指すか,天皇を頂く維新の志士たちのつくる新政府の決定を指すかの争いに集約され,ついに後者の勝利に終わった。しかし,明治政府成立後,自由民権運動や議会開設後の指導者たちは,こういう公論の解釈を超然主義として批判し,議会内多数党や新聞などの言論機関によって代表された意見こそが公論であると主張した。それが民本主義とともに正統化されていくのは,大正デモクラシーを通じてである。しかしこういう公論あるいは世論の解釈には,明らかに西欧市民国家の政治理論の影響がみられる。
西欧近代社会において世論opinion publiqueという語が初めてつかわれるのは,J.J.ルソーの《社会契約論》(1762)においてだとされている。そこでルソーは,世論を習俗や慣習と並んで〈国家の真の憲法をなすもの〉〈人民にその建国の精神(社会契約)〉を呼びさますものとしているが,それ以上の追求をしていない。このことばはさらにルイ16世の財務長官ネッケルが保守派の貴族層に対抗して,〈金融市場の投機家たちは世論に支配されている〉として自己の政策を強行して以来,人口に膾炙(かいしや)するようになったという。しかし,フランス革命以来,世論とりわけ第三階級の意思としての世論は,政治権力の拠るべき基礎として決定的な重みをもつようになった。しかし,それは選挙を通じて選出された代表で構成される議会によって表現されるとした穏健派と,世論をルソー的な一般意思と等視し,したがってそれは代表されえず,たとえ少数であっても理性的な革命主体によって体現されるとしたジャコバン派との対立は,その後今日にまで及ぶ世論解釈の化身の分化の原型を示すものだったとすることができよう。
イギリスにおける世論の制度化は,大陸に比べて安定的な道をたどって発展した。そこでは世論は,ミドルクラスを主体とする〈財産と教養〉のある公衆publicの理性的な意見opinionとして,一方では絶対主義のなごりである貴族や官僚,他方では台頭しつつある労働者大衆に対抗しつつ,それが国民代表の集合である議会によって表現されるという基本的合意が,はやくから定着したからである。議会内に生まれた政党も,E.バークによって〈世論の組織化〉として正統化された。また個別の争点について論説を展開する政論新聞は,世論の器としての〈公器〉とみなされてその自由を保障され,政党政治の中で独特の地位を占めるようになったが,しかしそれは政党や政府と対立するよりも,むしろ補完するものとみなされたのである。
このような状況が基本的に変化するのは,大衆民主制の成立に伴い,世論の背景となる公衆の一体制が崩壊してからである。福祉国家や行政国家の成立に伴い,選挙が基本的な争点についての大衆的世論の反映というよりも,福祉や利益誘導による大衆的買収の結果に矮小(わいしよう)化される機会は増大した。他方,マス・コミュニケーションの発達に伴い,大衆の世論自体が権力による操作の対象に変化する。ファシズムやスターリン主義は,その典型的な例である。このような条件の下に,知識層を基盤とした言論機関は,世論の名において議会内多数の上に成立した政府としばしば対立するようになり,また大衆組織はデモンストレーションや大衆集会などを通じて,〈関心ある大衆〉の抗議の意思表示を行う。これに対して政府は,〈沈黙している多数silent majority〉や〈声なき声〉こそが世論だと対抗する。このように現代国家において,選挙民(議会),言論機関,大衆行動などのそれぞれが,世論の表現としての正統性を主張して分立・抗争することが多くなっている。それはそのまま,現代における議会制民主主議の不安定化の表れとすることができよう。
社会学的な意味では,今日,世論は公共的な問題に関し世論調査などを通じて測定された大衆(有権者)の態度や意識として把握されることが多い。それはどのような構造をもつものだろうか。マス・コミュニケーションが発達した現代社会において,大衆の世論は基本的にマス・メディアによって影響されているとみなす議論は多い。事実,今日,国民的な広がりをもつ公共的な問題について,争点の認識から賛否の態度の形成にいたるまで,マス・メディアをぬきにして世論を語ることはできない。しかし,それはマス・メディアが一方的に大衆の世論を支配するということでは,必ずしもありえない。D.カッツとP.F.ラザースフェルトはアメリカでの実態調査を通じて,このようなマス・メディアによる影響は,有権者が所属する小集団の中で反覆されてはじめて定着することを明らかにした。家族,村落,組合,職場,友人グループなどはこういう小集団の典型的な例であり,こういう小集団内の文化や構造がマス・メディアの影響を選択的に増幅し,あるいは打ち消しているのである。日本のように集団所属が多元的でなく特定集団に没入する傾向が強いところでは,この問題はとりわけ重要である。
それはさらに,現代社会の構造が重層的であるという事実と重なる。農村と都会,労働者とサラリーマン,青年と老人,男性と女性というように,今日の社会において大衆が帰属意識をもつ集団やグループは,多元的な軸に従って分化し,それらを単純な軸にまとめて整理するのは容易なことではない。それはすなわち,現代の大衆運動が単一の争点ごとに組織される利益集団・市民運動型となり,政党が多元化しつつあることにも反映している。階級や階層,近代主義と伝統主義,保守と革新というような世論の国民的な規模での組織化は,今日,ますます難しくなっているのである。
このことは,現代社会の特質をどのようにみるかという視角とも関係しよう。ファシズムの時代のような社会の急速な解体と生活不安を原型として,現代社会をみれば,そこでは大衆が民族主義的排外主義や人種主義的偏見を基盤に,マス・メディアが選択的かつ扇動的に伝える情報を消費しながら,さまざまな政治的行動をも伴う強固な世論をつくりあげていく姿が浮かび上がる。しかし,安定的な豊かな社会において中間層意識が一般化した時代に即して現代社会を考えれば,そこでは多元的な情報の普及によって,より開明的な態度が一般化するが,世論とされるものは多くのレベルにおいて行動と結びつかないアパシー(無情熱)的な判断であり,浮動的なものであることが見いだされよう(政治的無関心)。もっともその根底では両者とも,現代国家において,かつて市民国家が前提としたような比較的少数の世論集団(公衆)が解体したという事実から派生しているという点で共通している。以上のような社会学的事実を背景に,現代民主政治を世論による支配として再建しようとするとき,それは単に教育や文化の進展によって大衆がふたたびかつての公衆の地位へ上昇することを漫然と期待するだけではなく,マス・メディアのあり方,社会集団の組織原則,選挙制度あるいは分権と参加という広い文脈の中で検討されねばならない課題であることもまた明らかである。
→政治意識 →世論調査
執筆者:高畠 通敏
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「せろん」ともいう。社会的争点に対する市民(公衆)の意見の高まりが、討論を経て合意の層を広げ、民意を示す形で政治的影響力をもつ多数意見をいう。それゆえ世論機能の発揮は近代以降のことで、公衆の意見形成の前提にはジャーナリズムが、意見表明の動機には自由主義が、また主張の表明と主張内容の達成を期す公衆の側には民主主義が、ともに成熟していなくてはならない。
[佐藤智雄]
近代以前にも世論に準ずる民衆の意見機能はみられた。「民の声は神の声」vox populi, vox Dei(ラテン語)というローマ時代の格言は世論の原型とされてきたが、同時に「民衆の意見は二重なりvulgaris opinio est duplex。厳粛で思慮深き人々の意見は多くの真実を含み、軽薄で卑俗な人々の意見はなんら真実を含まないから」ともいわれ、民の声がつねに神の声でないことが警告されていた。世論の萌芽(ほうが)は17世紀以降にみられ、社会契約説を批判したテンプルSir William Temple(1628―99)は『政府論』(1672)で、あるべき政治的権威の根拠を社会の支配的意見に求めた。批判されたJ・J・ルソーは普遍意思を説いたが、これも世論の代替性に富む形で法の遵守を説くもの。これらは多少とも世論の原型に近いが、共通の発想は上からの支配の正当性legitimacyの根拠を民衆の意見の動向と結び付けようとするところにあった。フランス革命当時の大蔵大臣ネッケルは国家財政の再建を計画し、上層市民の反対意見で失脚する。のち復職し、ふたたび財政再建を試みたとき、サロンを開放して世論づくりに気を配った。これも上からの世論対策であった。ネッケルは「制度を補強または脆弱(ぜいじゃく)化するものは世論」だとの経験的世論観をもち、「世論の力の増大化に注目」した。F・テンニエスはネッケルを、世論の威力を発見しその利用法をみいだした人とみる。
[佐藤智雄]
権力の側から民意としてとらえられる世論概念が市民革命の前夜までのものとすると、市民革命後の近代社会に入り世論の機能は変わる。市民は、民主主義権力の正当な担い手で、つまり対等な立場で発言し、討論の自由な波動の源泉となる討論集団の成員という形では公衆である。公衆は古典的民主主義を支える「財産と教養ある人々」のもつ意見・討論機能の理想化であり、C・W・ミルズのいう公衆社会は彼らを成員とする。そこでの無数の討論集団は世論形成の偉大な装置と考えられた。「人々は問題を提示され、それらを討論し、それらに対して決定を下し、見解を定式化する。諸見解は組織され互いに競争し、ある一つの見解が勝利を収める」(『パワー・エリート』1956)。勝利を収める見解(多数意見)が世論である。この見解は「実施され」または「代表たちがそれを実行する」。そこに世論の政治的・社会的な影響力が生ずる。
このような世論の形成過程で、公衆を群集に対比させながら理想化し、公衆の意見形成や討論過程に新聞の役割、情報による問題提示機能を強調したのはJ・G・タルドであった(『世論と群集』1901)。確かに世論はジャーナリズムから争点を受け取り、討論で共通の見解を定式化し、多数意見として政治的決定過程に影響を与えるという図式は、まさに下(公衆の側)からの世論形成である。政治的影響力をもつ世論機能には討論参加する公衆の均質性が前提であった。古典的民主主義の時代には、この型の世論の形成とその影響力に「抑制と均衡(チェック・アンド・バランセズ)」をみた。しかしそれはどこまでも18~19世紀型世論である。個々の意見の表明者として市民=公衆の討論を経た多数意見の流れは、社会へも政治へも影響を与えたが、この型の世論の根底には、市民=公衆のもつ見識の均質性、新興ブルジョアジーとしての階級的威信(財産と教養ある人々)があることを無視できない。
[佐藤智雄]
W・リップマンが名著『世論』(1922)で一貫して説いたのは上記の型の世論への疑問である。人はかならずしも外界の変化とは一致しない社会像を頭に描く。この諸個人のさまざまな意見がいかにして世論になりうるか、と問う。事実、20世紀に入り世論信仰は後退する。世論はたてまえ化し、政治家は政策が国民の支持を得たかのような免罪符として「世論」を口にする。またイデオロギー上の敵手に対しても、たとえば「国鉄、世論を意識、厳しい処分(千葉動労に)」、「米が核実験、世界世論への侮辱、タス通信強く非難」(ともに1986)など。したがって20世紀の世論は形骸(けいがい)化し、下からの自噴的活力をもつ自律的世論の衰退は、容易に政治権力の側からの作為を許す他律的世論にとってかわられる。操作された世論がそれである。自律的世論の衰退はミルズの指摘するように、大衆社会では合理的討論が専門家の発言力によって、また議論内容が発言者の利害主張と非合理的アピールの効果によって、世論の権威を失墜させてきた。
これらの変化は、20世紀が理念としての公衆社会とは似ても似つかぬ大衆社会だというところに発している。意見の担い手は大衆民主主義のなかで極限まで動員されるが、逆に担い手としての均質性を失い、価値観の多様化、争点への傍観視化が世論形成の地盤を弱めている。争点の所在を示す情報伝達のためのマス・メディアはいよいよ多様化し、原事実を伝える情報の質も量も一様ではない。その反面、マス・メディア側の情報収集力と受け手への影響力はいよいよ大きく、世論操作への潜在的能力が増しているだけではない。マス・メディアが現実に「世論メーカー」の役割を演じていることも注目される。その意味で大衆社会状況下の世論はけっして死滅してはいないが、その形成規模と影響力とをひどく限定されたものにしている。全国民的な利害をもつ問題の発生時などは、例外的に国民的、国際的規模の世論をみることもあるが、日常的に機能している現代世論の形成基盤は、地域、職業、各種階層内での争点にとどまるといえよう。
[佐藤智雄]
『高橋徹編『世論』(1960・有斐閣)』▽『J・G・タルド著、稲葉三千男訳『世論と群集』(1964・未来社)』▽『C・W・ミルズ著、鵜飼信成他訳『パワー・エリート』上下(1969・東京大学出版会)』▽『W・リップマン著、掛川トミ子訳『世論』上下(岩波文庫)』
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[歴史]
世論は以前は〈輿論〉と表記され,古来,中国で輿(かご)かきのような庶民が政事について述べる意見や議論を意味した。表記が簡略化されて現在のように〈世論〉と改められるに従い,今日では〈せろん〉と発音され,世間一般の論と解されることも多い。…
…これらの環境層はさらに細分される。たとえば,精神環境は,思想,世論,雰囲気,教育,宗教,芸術,マス・コミ,レクリエーションなどの文化活動とそれらに必要な機関,組織,施設,行事などである。そして,精神・社会・経済・政治上の各活動においては,各機能・機関・施設・組織・制度・行事などは互いに他の環境因子となる。…
…第1次世界大戦後の19年,パリ講和会議にはウィルソン大統領の要請で代表団随員として参加した。21年4月に書きはじめて22年初めに刊行されたのが,彼の代表作《世論Public Opinion》である。これは,人間が外界と適応するさいに擬似環境の果たす役割,〈頭の中のイメージ〉の機能に注目した著作で,現代マス・コミュニケーション研究の古典となっている。…
…このような事態がいっそう進んで,重要な政策的決定が,政府と経営者団体と労働組合の三者間の協議を前提条件とする傾向が顕著化してきたイギリスや西ドイツでは,〈ネオ・コーポラティズム〉的状況さえ指摘されている。圧力団体活動の第4の側面は,世論に対する働きかけである。大衆デモクラシーの確立,マス・メディアの発展,市民意識の向上といった事態は,圧力団体の目的達成のために世論の理解を求め,さらにその支持の動員をはかることの必要性と有効性を高めてきたのであり,このような対世論活動は,間接的ロビイングとして,議会や政府に対する直接的ロビイングと対比され,またその大衆志向性のゆえに〈グラス・ルーツ・ロビイング〉とも呼ばれている。…
※「世論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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