朝日日本歴史人物事典 「倭王武」の解説
倭王武
『宋書』にみえる5世紀後半の倭王。倭王済の子で倭王興の弟。武は雄略天皇の諱の大泊瀬幼武を1字で表記したもので,雄略天皇に比定される。昇明1(477)年に宋に使者を送り,倭と朝鮮半島南部の軍事的支配権を表す「使持節,都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事,安東大将軍,倭国王」の称号を要請した。翌年,再び使を送り,称号の正当性を示す「上表文」を提出し,百済を除く称号を認められた。武は公認された将軍号に依拠して臣下に称号を仮授する権限を有し,列島各地の首長との貢納・奉仕関係を中国風の府官制的秩序に編成していったとみられる。<参考文献>佐伯有清『古代を考える 雄略天皇とその時代』
(平野卓治)
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