倭王武 わおう-ぶ
?-? 5世紀後半,倭の五王の最後の王。
倭王興(こう)の弟。「宋(そう)書」倭国伝によると,興の死後王となり,宋の昇明2年(478)中国南朝の宋に上表文をおくり,使持節(しじせつ),都督(ととく)倭・新羅(しらぎ)・任那(みまな)・加羅(から)・秦韓(しんかん)・慕韓(ぼかん)六国諸軍事,安東大将軍,倭国王の称号をみとめられた。雄略天皇に比定する説が有力。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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倭王武
わおうぶ
『宋書』倭国伝にみえる倭の五王の一人
雄略天皇に比定される。478年の武の上表文には大和政権の国内統一事業,朝鮮半島経略のことが記載されている。451年宋から「使持節都督 (しじせつととく) 倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」の称号を与えられた。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の倭王武の言及
【雄略天皇】より
… 記紀のほか,埼玉県の[稲荷山古墳]出土の鉄剣銘に,〈獲加多支鹵(わかたける)大王〉とあり,熊本県の[江田船山古墳]出土の太刀銘に,〈獲□□□鹵大王〉とあるのも,ともに雄略天皇をさすであろう。また《宋書》夷蛮伝にみえる[倭の五王]のうち,最後の倭王武は雄略と考えられる。武は478年,宋に上表し,〈東は毛人〉〈西は衆夷〉〈渡りて海北〉を平定したとのべ,実際に朝鮮半島南部を含む〈六国諸軍事〉の将軍号を称し,安東将軍より安東大将軍に進められ,その後479年鎮東大将軍,502年征東将軍に進められている。…
※「倭王武」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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