詩人。東京府(現,町田市)の生れ。農家の次男に生まれ1921年春,東京高師卒業後,兵庫県御影師範の英語教師となる。19年に受洗していたが,その後,内村鑑三の影響により無教会主義の信仰に近づく。22年島田とみと結婚,このころより詩と信仰の合一を目ざしての精進がつづけられる。25年処女詩集《秋の瞳》を刊行,《日本詩人》その他の誌上に作品の発表をみるようになる。この間25年には千葉県立東葛飾中学に転任したが,翌年から病臥。すでに結核の病状は進み1年余の闘病生活ののち27年10月に病没した。翌28年,生前自選の第2詩集《貧しき信徒》が刊行された。その詩風には山村暮鳥晩年の《雲》(1925)の影響がみられるが,〈究極においては,子供のような詩をのぞ〉むといった詩境はさらに純一であり,〈日本の基督に関する詩〉の〈最高〉(草野心平)とみる批評もある。
執筆者:佐藤 泰正
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大正期の詩人
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詩人。東京南多摩(町田市)生まれ。東京高等師範学校在学中の1919年(大正8)洗礼を受けたが、しだいに内村鑑三の無教会主義の信仰に近づいた。21年兵庫県御影(みかげ)師範の英語教師として赴任、このころから詩作に熱中し、詩と信仰の合一を目ざすようになる。25年千葉県立東葛飾(ひがしかつしか)中学に転任、第一詩集『秋の瞳(ひとみ)』を刊行、佐藤惣之助(そうのすけ)主宰の『詩之家』同人となった。しかし、翌26年より結核のため病臥(びょうが)、27年(昭和2)10月26日没した。没後、生前自選の第二詩集『貧しき信徒』(1928)刊行。その詩は、身辺の自然や家族を題材に、真摯(しんし)な信仰に生きる厳しさと喜びを口語による短章によって純一に表現している。
[飛高隆夫]
『『八木重吉全集』全三巻(1982・筑摩書房)』▽『『定本八木重吉詩集』(1978・弥生書房)』▽『『八木重吉詩集』(旺文社文庫)』▽『田中清光著『詩人八木重吉』(1969・麦書房)』
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