八木重吉(読み)ヤギジュウキチ

デジタル大辞泉 「八木重吉」の意味・読み・例文・類語

やぎ‐じゅうきち〔‐ヂユウキチ〕【八木重吉】

[1898~1927]詩人東京の生まれ。敬虔けいけんキリスト者として、詩壇の外にあって純化された詩を発表した。詩集秋の瞳」「貧しき信徒」など。

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精選版 日本国語大辞典 「八木重吉」の意味・読み・例文・類語

やぎ‐じゅうきち【八木重吉】

  1. 詩人。東京出身。東京高等師範学校卒。内村鑑三の影響をうけキリスト教入信。詩壇の外にあって宗教的に純化された詩作を続けた。著「秋の瞳」「貧しき信徒」など。明治三一~昭和二年(一八九八‐一九二七

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改訂新版 世界大百科事典 「八木重吉」の意味・わかりやすい解説

八木重吉 (やぎじゅうきち)
生没年:1898-1927(明治31-昭和2)

詩人。東京府(現,町田市)の生れ。農家の次男に生まれ1921年春,東京高師卒業後,兵庫県御影師範の英語教師となる。19年に受洗していたが,その後,内村鑑三の影響により無教会主義信仰に近づく。22年島田とみと結婚,このころより詩と信仰の合一を目ざしての精進がつづけられる。25年処女詩集《秋の瞳》を刊行,《日本詩人》その他の誌上に作品の発表をみるようになる。この間25年には千葉県立東葛飾中学に転任したが,翌年から病臥。すでに結核病状は進み1年余の闘病生活ののち27年10月に病没した。翌28年,生前自選の第2詩集《貧しき信徒》が刊行された。その詩風には山村暮鳥晩年の《雲》(1925)の影響がみられるが,〈究極においては,子供のような詩をのぞ〉むといった詩境はさらに純一であり,〈日本の基督に関する詩〉の〈最高〉(草野心平)とみる批評もある。
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20世紀日本人名事典 「八木重吉」の解説

八木 重吉
ヤギ ジュウキチ

大正期の詩人



生年
明治31(1898)年2月9日

没年
昭和2(1927)年10月26日

出生地
東京府南多摩郡堺村(現・東京都町田市相原町)

学歴〔年〕
東京高師英文科〔大正10年〕卒

経歴
内村鑑三に私淑し、大正8年独立教会駒込基督教会で受洗。結婚後、11年頃から詩作を始める。10年兵庫県御影師範の英語教師となり、14年千葉県立東葛飾中学に転任する。同年第一詩集「秋の瞳」を刊行、その後「日本詩人」などに詩作を発表する。聖書に生き、ジョン・キーツに傾倒するとともに芭蕉や漢詩に親しみ、北村透谷室生犀星などの詩にも多くを学んだ。神と愛を信じ、人生に希望を見出そうとする叙情詩が多い。15年風邪のため病臥したが、結核第2期であったため、闘病1年余りで死去。没後の昭和3年「貧しき信徒」が刊行された。また59年生家の土蔵に記念館が開館。「八木重吉全集」(全3巻 筑摩書房)がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「八木重吉」の意味・わかりやすい解説

八木重吉
やぎじゅうきち
(1898―1927)

詩人。東京南多摩(町田市)生まれ。東京高等師範学校在学中の1919年(大正8)洗礼を受けたが、しだいに内村鑑三の無教会主義の信仰に近づいた。21年兵庫県御影(みかげ)師範の英語教師として赴任、このころから詩作に熱中し、詩と信仰の合一を目ざすようになる。25年千葉県立東葛飾(ひがしかつしか)中学に転任、第一詩集『秋の瞳(ひとみ)』を刊行、佐藤惣之助(そうのすけ)主宰の『詩之家』同人となった。しかし、翌26年より結核のため病臥(びょうが)、27年(昭和2)10月26日没した。没後、生前自選の第二詩集『貧しき信徒』(1928)刊行。その詩は、身辺の自然や家族を題材に、真摯(しんし)な信仰に生きる厳しさと喜びを口語による短章によって純一に表現している。

[飛高隆夫]

『『八木重吉全集』全三巻(1982・筑摩書房)』『『定本八木重吉詩集』(1978・弥生書房)』『『八木重吉詩集』(旺文社文庫)』『田中清光著『詩人八木重吉』(1969・麦書房)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「八木重吉」の解説

八木重吉 やぎ-じゅうきち

1898-1927 大正-昭和時代前期の詩人。
明治31年2月9日生まれ。大正8年受洗後,内村鑑三の無教会主義にちかづく。10年英語教師となり,信仰と詩作に没入。14年詩集「秋の瞳(ひとみ)」を刊行し,佐藤惣之助(そうのすけ)主宰の「詩之家」同人となる。昭和2年10月26日死去。30歳。翌年自選詩集「貧しき信徒」が刊行された。東京出身。東京高師卒。
【格言など】ひとをいかる日 われも 屍(しかばね)のごとく寝入るなり(「定本八木重吉詩集」)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八木重吉」の意味・わかりやすい解説

八木重吉
やぎじゅうきち

[生]1898.2.9. 東京,町田
[没]1927.10.26. 町田
詩人。 1921年東京高等師範学校卒業。在学中キリスト教に入信,英語教師となってから詩作を始め,詩集『秋の瞳』 (1925) を刊行。草野心平に認められたが,病弱のため夭折した。没後刊行の『貧しき信徒』 (28) ,『定本八木重吉詩集』 (58) などにより,次第にその評価が高まった。

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百科事典マイペディア 「八木重吉」の意味・わかりやすい解説

八木重吉【やぎじゅうきち】

詩人。東京都生れ。東京高師卒。敬虔(けいけん)なキリスト教信者で,キーツの詩を愛した。詩集《秋の瞳》は純粋な美しい心境を歌っている。没後《貧しき信徒》《神を呼ばう》《定本八木重吉詩集》等が出た。日本近代のキリスト者の詩として最も高い地点にあるものとされる。

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367日誕生日大事典 「八木重吉」の解説

八木 重吉 (やぎ じゅうきち)

生年月日:1898年2月9日
大正時代の詩人
1927年没

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