労働の意思と能力のある者に対しては,労働による生活の維持・確保のために,労働の機会が与えられなければならないという思想(労働権の思想)のもとに提唱されるに至った概念。
〈労働権〉という言葉は,かなり前からみられるが,その具体的な内容は必ずしも同一ではない。人間の自然的自由を天賦の人権として強調した近代自然法思想のなかにも,人間が他から妨げられることなく自分の好む労働に従事する自由を,人間の自然権だとし,このような自由を国家権力によってみだりに制限・禁止されないという意味での各個人の権利を,〈労働権〉とよんだといわれている。しかしこのような自由権としての〈労働権〉は,現在では〈労働の自由〉として,〈労働権〉と区別されている。
現在〈労働権〉という言葉は,一般に,資本主義の発展とともに重大な社会問題となった失業問題の激化を契機として提唱されるに至った新しい権利をさす言葉として用いられている。このような労働権の法律的な概念構成を企て,その後の学説にも大きな影響を与えたのが,法曹社会主義者A.メンガーである。彼は,すべての人間が労働の義務を負うと同時に労働の機会をも保障されるような社会主義体制の樹立,資本の私的所有の否定を究極の理想としながらも,資本主義から社会主義体制への移行は,法律制度の改革を通じて漸次的・平和的に行わなければならぬとする立場から,資本主義体制のもとでも,労働の意思と能力をもちながら私企業等に就業しえない者は,国家に対して労働の機会を提供すべきこと,もしそれが不可能ならば相当の生活費を支給すべきことを請求しうる権利が認められなければならないと主張して,これを資本制法秩序に接合させられるべき〈生存権〉の一種としての〈労働権〉とよんだ。メンガーのこの主張に対しては,正統派マルクス主義の側から,純正の社会主義は,すべての社会構成員が労働によって生活を維持すると同時に労働の機会がすべての人間に体制的に保障される社会,換言すれば,労働の義務と権利とが体制上必然的に結合されている社会の樹立を目ざすものであって,このような社会主義体制のもとでのみ実現される〈労働権〉を資本主義体制に接合しようとするのは,法律家らしい幻想にすぎない,ときびしく批判された。しかしメンガーの主張は,それまで漠然と用いられてきた〈労働権〉という言葉に,権利としての具体的内容を賦与しようとした試みとして注目される。
なお,20世紀に入ってからは,私有財産制を自然法として終極的に肯定するキリスト教的自然法の立場からも,すべての人間が人間としての存在を維持・確保することこそ自然法の要請であるとして,労働者にも,人間としての存在を保障するため労働の機会を確保するための国家の積極的な配慮がなされなければならないと主張され,これが労働者の側からみて〈労働権〉とよばれている。この労働権概念は,正統派マルクス主義の主張する労働権と対立することはもちろんであるが,結局は資本主義,すなわち生産手段の私的所有が否定されるべきことを前提とするメンガーの労働権論とも違うし,さらに,近代社会成立当時の自然法理論が,国家権力から自由な個人の活動の一環として労働権という言葉を用いたのに対して,労働者の人間としての存在の確保のために国家の積極的な配慮を内容とする労働権の観念を主張する点で異なっている。
20世紀の憲法には,労働権の保障を宣言するものが多い。さまざまの立場から主張されてきた〈労働権の思想〉は,今や,国家の実定法規のなかにとりいれられるに至ったわけである。しかし,ソ連その他の社会主義国の憲法に掲げられている労働権の保障と,資本主義諸国の憲法におさめられている労働権の宣言とが,その意味を異にすることはいうまでもない。日本の現行憲法も労働権の保障を宣言している(日本国憲法27条1項)が,資本主義国家の憲法における労働権の保障として,これを社会主義国家における労働権の保障と同じに論ずることはできない。通説は,憲法27条1項は,単なる〈労働の自由〉としての〈労働権〉を規定したものではなく(なぜなら〈労働の自由〉は憲法22条の居住移転・職業選択の自由の保障のなかにすでに含まれているから),現代資本主義国の重要な問題である失業問題をにらんでおかれた規定であるとしながらも,メンガーの主張したような,個人が国家に対して労働の機会を提供すべきこと,それが不可能なら相当の生活費を支給すべきことを請求しうる〈具体的〉な権利(国家が労働の意思と能力のある失業者の請求にもかかわらず,上記のいずれをも与えないときは,失業者は裁判所を通じて国家に対しその義務の履行を強制しうる,という意味での権利)として保障されたものではなく,国家がいわゆる完全雇用を目ざして,また失業者の生活保障のために努力すべき〈政治上の責務〉を課したものにすぎないと解している。そしてその理由として,各個の国民の具体的な権利としての労働権の実現は,資本主義体制のもとではきわめて困難であり,とくに日本の場合にはこのような労働権実現の経済的基盤を欠いていること,また27条1項の規定が,きわめて簡単かつ抽象的であって,労働権の実現に必要な法律上の保障規定がなく,国が労働権確保のための措置を怠って,必要な立法や制度・施設を講じない場合も,国民の側から国に対し直接これを要求する法律上の方法がないこと,があげられている。
→労働法
執筆者:吾妻 光俊
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
労働能力と労働意欲を有する労働者に対して就労する機会が与えられる権利。日本国憲法第27条1項は、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」と定めて、国民に勤労権(労働権)を保障し、あわせてその義務も課している。労働権の意味内容をどのようにとらえるかについては二つの考え方がある。一つは、人間が自ら希望する労働につくことを何人(なんぴと)も妨げることはできないことであるとするもので、この考え方はアメリカで主張されている。これには、あわせて強制労働の禁止すなわち苦役からの解放という意味もある。もう一つは、労働意欲と労働能力を有する労働者は、国家に対して労働する機会の保障を要求し、それが保障されない場合には、生活費の給付を受ける権利を有するという考え方である。この考え方は、ワイマール憲法第163条2項に表れている。前者の考え方に対しては、労働権を単なる自由権として理解するのは誤りであるとの批判がある。後者の考え方に対しては、資本主義社会で労働者が国家に労働する機会に対する具体的な請求権も有すると考えることには無理があるという批判がある。
学説においては、労働権は、国家が労働者に対して就労および生活保障などの具体的な請求権までをも保障する権利でないという点では一致している。しかし国家には、失業問題の解決や就労機会確保への努力と、それに関する必要な措置をとる義務があるといえよう。ただし、労働権の完全な保障のためには、経済恐慌の除去や失業の解消などの前提条件の整備が不可欠である。資本主義社会においては、完全雇用を実現する労働政策を期待することは無理があろう。しかし資本主義社会においても、たとえば1911年のイギリスの職業紹介法、国民保険法第二部としての失業保険制度にみられるように、失業対策と生活保障のための諸立法が制定された歴史がある。またILO(国際労働機関)は、1934年に、「非任意的失業者に対し、給付または手当を確保する条約」および「失業保険および失業者のための各種の扶助に関する勧告」を採択している。
日本においても、職業紹介のための職業安定法(1947)、失業中の生活保障、労働者の労働能力の開発、雇用促進などを定めた雇用保険法(1974)、雇用対策法(1966)、高年齢者雇用安定法(1986)などの雇用対策および生活保障のための諸立法が制定されている。
[村下 博・吉田美喜夫]
『日本労働法学会編『講座21世紀の労働法第2巻 労働市場の機構とルール』(2000・有斐閣)』
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