戸籍上の男性同士または女性同士の結婚。憲法24条1項は「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」すると規定する。「両性」という言葉は異性婚を想定しているとされる一方で、「憲法制定時は異性婚のみが念頭にあったが、同性婚を積極的に禁止する趣旨ではない」とする学者や弁護士もいる。法律婚をできない不利益として、パートナーの法定相続人になれないことや、緊急手術の同意書に署名ができないことなどが挙げられる。全国の自治体では同性カップルを公的に認めるパートナーシップ制度が随時導入されているが、法的な拘束力はない。
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同一の性の者同士の結婚。
同性間の性愛的な結合関係は古代以来、非公式なものから高度に儀式化されたものまでさまざまな形でエジプトやギリシア、ローマ、メソポタミア、中国など世界各地で記録されている。ローマ帝国の5代目皇帝ネロら2人の皇帝は同性と婚姻を結んだ。日本では公的な婚姻儀式はないものの、中世の仏寺における僧侶(そうりょ)と稚児(ちご)の関係や江戸時代の衆道(しゅどう)の契りに疑似的な関係をみることができる。
もっとも、「婚姻」は西欧ではキリスト教の「サクラメント(秘蹟(ひせき))」の一つとして神の恩恵を信徒に与える儀式となり、男女が教会で行う宗教結婚主義が支配的となった。欧米の近代社会はそのキリスト教的規範とともに拡大したため、それに伴って同性愛関係を反道徳、反自然とする「犯罪化」と「病理化」の二大言説が構築された。
近代法ではイギリスは1533年の獣姦(じゅうかん)法や1885年の改正刑法が男性間同性愛行為を犯罪化した。ドイツでは1871年に悪名高い刑法175条が制定された。これらは旧約聖書にある「ソドム」にちなんで英語では「ソドミー法」と総称され、多くは20世紀後半まで維持された。また、イスラム教国ではイスラム法による厳罰規定が続いている。一方で、病理化は19世紀の精神医学や文学の領域で「精神異常」「性的倒錯」として流布された。これは当初、フロイトらが同性愛の人たちを犯罪者とするには忍びないとして、「病気だから」という理由づけをすることで犯罪化を回避するためのものだった。
これらが相まって、同性愛者(性的少数者)は社会的規範からの逸脱・脅威とされて周縁化し、婚姻や就業に象徴されるような社会保障や法的保護、すなわち近代的な基本的人権の保障から広く除外された。「同性婚」の容認はこうして論外となった。
[北丸雄二 2022年9月21日]
これらの流れに対抗する同性間性愛関係の脱犯罪化、脱病理化の動きは、1897年にドイツで性科学者マグヌス・ヒルシュフェルトMagnus Hirshfeld(1868―1935)が主宰した「科学的人道主義委員会」の設立まで記録にない。同委員会は「科学を通して正義へ」をモットーに、アインシュタインやフロイト、トルストイやヘッセら6000人の署名を集めてドイツ刑法175条の撤廃を要求し、同性愛者の基本的人権の確立を目ざしてオランダやオーストリア、イタリアなどにも大衆啓発の活動を広げた。しかしヒトラーが政権を握った1933年からドイツでは弾圧が始まり、第二次世界大戦下では多くの同性愛者たちも強制収容所に送られた。
しかし連合軍の勝利で戦線から帰還した若い男性兵たちの一部は欧米の港湾部や都市部でゲイ地区を形成、一方で銃後の武器工場労働などに従事していた女性同士の社会化はレズビアンバーなどの隆盛につながり、性的少数者の可視化は戦後急速に進んだ。社会的迫害もこれに比例して増えたが、対抗するゲイ人権運動が欧米各地で生まれ、1957年にイギリスで成人同士の私的な同性愛行為の非犯罪化を勧告した「ウォルフェンデン報告」が公表されると、以降、ゲイの権利運動は司法改革の形で進んだ。
同時に戦後の高度資本主義社会は核家族化と個人主義化、キリスト教の世俗化に拍車をかけた。恋愛や婚姻が宗教や家制度から離れ、個人の幸福追求の手段となるにつれ、異性間においてもパートナー概念の変化がみられるようになる。ただし「同性婚」が議論されるようになるには、まず同性愛自体の認知が必要だった。
人権運動の大衆化を一気に推し進めたのが1969年6月末に発生したニューヨーク市のゲイバー「ストーンウォール・イン」の摘発暴動事件である。従来の運動主体は多く白人中産階級や知識層だったが、ストーンウォール・イン暴動はゲイバー周辺で生きる非白人のLGBTQたち、白人でも家出少年少女ら社会的周縁層が担った。以後、同暴動をゲイの「反乱」「蜂起」とする言説とともに性的少数者の活動団体が急増した。1973年にはアメリカ精神医学会が同性愛を精神障害の分類から削除することを決定し、欧米ではゲイの性解放と政治闘争の1970年代が展開する。しかし1980年代に入ってそこにエイズが襲いかかった。
[北丸雄二 2022年9月21日]
当初、社会的スティグマをまとったエイズ禍に対し政治は冷淡をきわめ、これがゲイ・コミュニティのいっそうの政治化と直接行動を促した。エイズ禍の悲惨な状況は、多くのLGBTQ当事者にカムアウトして社会正義を訴える大義名分を与え、活動は国際的なうねりになった。1980年代後半から1990年代にかけて、欧米社会はエイズで死別する同性愛者たちの悲劇を報道や娯楽、芸術などの分野を総動員して取り上げるようになる。これが一般社会への教育と啓発を促し、同性パートナーシップや同性婚の議論が初めて公的に俎上(そじょう)に上る契機になった。
ちなみにアメリカでの同性婚への世論調査は1996年のギャラップ調査が初めてで、当時は反対が68%に上り、賛成はわずか27%だった。その賛否が逆転したのは2011年である。
一方、2001年4月から世界で最初に同性婚を法制化したオランダでは、同性婚論議は1980年代なかばから始まり、1998年総選挙後に組閣した第二次コックWim Kok(1938―2018)内閣が異性婚と同性婚の平等をうたって上下両院は圧倒的多数で法制化を可決した。2003年6月に2番目に法制化したベルギーでも、1990年代後半からゲイ団体によるロビー活動が始まった。3番目のスペインは2005年7月に施行。当時の首相サパテロJosé Luis Rodríguez Zapatero(1960― )は「同性婚を認める最初の国となる栄誉は逃したが、それを認めた最後の国になる不名誉は回避できた」と演説した。アパルトヘイトによる差別を知る南アフリカは2006年に5番目の法制国となった。
アメリカにおける法制化が連邦としては2015年のオバマ政権下まで遅れ、世界で19番目とヨーロッパや南米諸国の後塵(こうじん)を拝したのは、清教徒が建国した国として宗教保守派の影響が大きかったためである。ソドミー法の撤廃も、アメリカは連邦としては2003年まで実現しなかった。
2022年7月時点では世界で計31か国・地域、アジアでは唯一台湾が同性婚を認める。
[北丸雄二 2022年9月21日]
日本では2015年(平成27)の東京都渋谷区、世田谷区を皮切りに、同性カップルに結婚に準じる関係を認める「同性パートナーシップ制度」が自治体単位で採用され始めた。しかしこれは単に宣誓および勧告の類であって厳密には法的拘束力はなく、性的少数者への差別禁止法も存在しない。2022年(令和4)4月時点で同制度を導入した自治体は200を超え、人口での普及率は約52%。これに加え、日本最多人口の自治体である東京都が同年11月からの導入を決めており、これで人口的な普及率も一気に6割ほどになる。
一方で同性婚を求める「結婚の平等」訴訟も全国5都市で提起され、最初の一審判決となった札幌地方裁判所では2021年3月、同性婚を認めないのは憲法14条「法の下の平等」に反するとして違憲とした。同様の裁判は東京、名古屋、大阪、福岡でも当事者カップルを原告として係争中である。
「結婚の平等」という名の示すものは、これが同性婚という新たな「特権」の付与ではなく、結婚制度において欠落していた平等な権利の補填(ほてん)、補修であるということである。犯罪化と病理化という二つの差別理由が誤りだとされた現在、結婚の平等は全的な基本的人権獲得のメルクマールと考えられている。
[北丸雄二 2022年9月21日]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(原田英美 ライター / 2011年)
(井上健 東京大学大学院総合文化研究科教授 / 2007年)
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