同盟(読み)ドウメイ

デジタル大辞泉 「同盟」の意味・読み・例文・類語

どう‐めい【同盟】

[名](スル)個人・団体または国家などが、互いに共通の目的を達成するために同一の行動をとることを約束すること。また、それによって成立した関係。「同盟を結ぶ」「同盟してストライキを打つ」
《「全日本労働総同盟」の略称》昭和39年(1964)全労会議総同盟とが統合して結成された労働組合の全国組織。総評に対抗し、民間産業が中心。昭和62年(1987)、連合の発足により解散。
《〈イタリア〉Legaイタリアの政党。北部の富が南部に再配分されているとの不満をもとに1991年に北部同盟として結党。一時は北部の独立を訴えたが支持を得られず、連邦制を目指す穏健路線に転じた。たびたび自由の人民などとの連立で与党となる。2018年に党名変更。
[類語]合体合同合併連合連盟合一併合合流

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精選版 日本国語大辞典 「同盟」の意味・読み・例文・類語

どう‐めい【同盟】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 個人・団体または国家が、互いに共同の目的を達するため同一の行動をとることを約束すること。また、それによってできたなかま。
    1. [初出の実例]「列国ぢゃほどに同盟の諸侯には」(出典:史記抄(1477)三)
    2. 「僕の体力は冬と同盟して歓喜の声をあげる」(出典:道程(1914)〈高村光太郎〉冬の詩)
    3. [その他の文献]〔春秋左伝‐隠公元年〕
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] 「全日本労働総同盟会議」の略称。昭和三七年(一九六二)四月、全労、総同盟、全官公の三労働団体が併列構成した組織。
    2. [ 二 ] 「全日本労働総同盟」の略称。昭和三九年(一九六四)一一月、全労会議と総同盟が合体して結成した労働団体。これにより同三七年に構成された全日本労働総同盟会議は解散し、組織は一本化した。同六二年、連合の発足により解散。

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改訂新版 世界大百科事典 「同盟」の意味・わかりやすい解説

同盟 (どうめい)

正称は全日本労働総同盟。1987年(民間)連合の結成にともない解散。1964年に全労会議総同盟,全官公(全日本官公職労働組合協議会)により結成された。

同盟の前身ともいうべき全労会議(1954結成)は,総同盟と全労会議(総同盟を除く)という二つの全国中央組織を抱える変則的組織形態を有しており,組織競合問題を生じていた。この問題を解決し,民主的労働戦線の統一を図るべく両組織と全官公により1962年4月に結成されたのが同盟会議(全日本労働総同盟組合会議)である。同盟会議はいわば統一のための連絡調整機関であり,全国中央組織としての同盟をつくるための準備段階であった。同盟会議は2年間にわたり各構成組織の協力と共同行動を積み重ねるなかで,地方組織の産業別整理など統一への条件整備を着実に図っていき,過渡的な組織としての役割を果たしていった。64年11月10日,全労会議は第12回臨時全国大会で組織を解散,また総同盟も第19回全国大会で正式に解散。翌11月11~12日,同盟の結成大会が開催され,新しい全国中央組織として180万組合員をもって誕生した。

民主的労働運動の中央労働組織としてスタートした同盟は,民間労働組合を中心としており,昭和40年代の日本の産業の質的・量的発展を背景として着実に組織を拡大していった。1967年以降は民間組合員の数では総評を上回り,日本の労働運動を支える大きな柱となった。同盟は30の単産で構成されていたが,ゼンセン同盟,全金同盟(現,ゼンキン連合),造船重機労連自動車労連電力労連海員組合海員),全化同盟(現,CSG連合)など民間の組織が多かった。一方,公務員等の組合として全郵政,鉄労,日林労などが同盟に加盟しているが,総評系組合と競合しており,勢力も劣勢である。このため〈民間の同盟,官公労の総評〉といわれていた。地方組織として47都道府県に地方同盟が,また,その下に500以上の地区同盟が設けられ,地方・地域の同盟活動に取り組んでいた。

同盟は結成以来,民主的労働運動を標榜(ひようぼう)し,その指導理念として人間尊重と組合民主主義,産業民主主義,政治的民主主義,国際的民主主義の四つの民主主義を掲げていた。国際関係では国際自由労連に一括加盟(1965)し,西側・自由主義国家の労働組合との連帯を重視していた。また,同盟傘下の単産の多くがITS(国際職業別組織)に加盟していた。

 同盟は,政策制度要求に力を入れ,独自にあるいは労働四団体との共闘により政府・地方自治体等への働きかけを強化している。また,産業民主主義の立場から経営参加の提唱,労使協議制の充実・強化など労使関係の民主化・近代化を推進した。なお同盟は産業民主主義を重視し,ストライキは〈伝家の宝刀〉と考えていたため,一般に労使協力の穏和な組合とみられていたが,海員組合の1966年の争議にみられたように,場合に応じては長期に闘い抜く一面もあった。政治面においては,総評の政治闘争重視を批判,結成以来一貫して民社党を支持して,総評-社会党ブロックと対抗してきた。組織人員は216万人(1985年6月末)に達したが,民間先行による労働戦線統一運動の中心となり,1987年11月19日解散し,翌20日結成大会を迎えた全日本民間労働組合連合会(全民労連,略称〈連合〉)に合流した。
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同盟 (どうめい)
alliance

2ないし数ヵ国が条約によって,軍事活動を中核とした一定の政治的共同行為を約束した国家の結合。いずれの場合にも,同盟構成の基盤には,脅威の知覚と利益の共同性ないしは補完性があり,ある問題について,力の結集をとおして政治的影響力や抑止ないしは防衛効果の増大を企図する最も伝統的な外交手段である。現実の敵ないしは潜在的な敵を前提とする点で本質的に対抗的性格を帯び(たとえば1879年の三国同盟対1907年の三国協商),そのために勢力増強競争を導き緊張を高めることがあるが,逆に独立の主権国家から成る多元的国際システムで作動する勢力均衡に不可避的な機能を果たし,そのかぎりでヘゲモニーを求める国家の野心が抑制されることもある(たとえば1813年の対ナポレオン大同盟)。同盟は,侵略者のリスクとコストを増大させて,その行動を慎重にさせることは可能だが,それ自体は戦争を抑止するものではない(たとえばナチス・ドイツの世界征服の野望の阻止に失敗)。

 同盟の性格はその時代の国際関係の構造によって規定される。たとえば勢力均衡の黄金時代といわれた18世紀ヨーロッパでは,同盟形成の目的がたえず流動する王朝的,経済的,植民地的利益にもとづいていたために,同盟は短期的,限定的な国家間の結合にすぎず,同盟関係は流動的であった。これに対して第2次大戦後の冷戦時代に米ソを軸に結成された同盟は,単に権力政治的な対立ばかりか,イデオロギー的対立の色彩をも帯びており,そのかぎりで長期的,普遍的なブロックの形成という傾向をもった(たとえば,NATO(ナトー)とワルシャワ条約機構)。

 だがこれは,それ以前の同盟と性格を異にしている。第1に軍事的,経済的に圧倒的な力を有する米ソがそれぞれの同盟内部で支配的な地位を占め,他の同盟国を従属させたことである。これが同盟内部での紛争を生む要因となった。ワルシャワ条約機構内部におけるハンガリーチェコポーランドなどの反逆やアメリカの核抑止力の信頼性に疑問をもつフランスがNATO軍事機構から離脱して自立性を求めたのもその一例である。第2に,しかし同盟は経済協力や援助をとおして同盟国の繁栄を助ける効果をもった。日本や西欧諸国がアメリカとの同盟関係を基礎に,高度経済成長を遂げたのは否めない。冷戦が終わり,国際関係の多元化がすすんだ1970年代には,同盟の軍事的側面よりは,政治,経済的側面が同盟の効果として重視されたゆえんである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「同盟」の意味・わかりやすい解説

同盟(国際法)
どうめい
alliance

同盟は、複数国が結合して、(1)第三国からの攻撃に対し共同防衛を行うもの(防御同盟)、(2)第三国に対し共同して攻撃を加えるもの(攻撃同盟)、(3)攻撃と防御を兼ねるもの(攻守同盟)、をいう。同盟条約の当事国は、同盟上の援助事由casus foederisの規定するところに従って、これらの共同行動をとることになる。日本に関係する重要な同盟には、日英同盟(1902)、日独伊三国同盟(1940)などがあった。

 同盟は、一般国際法上、国家の個別的安全を保障する有力な手段とされてきた。自助・自救の原理が支配する分権的な国際社会にあって、国家は、相対的な力関係の改善を求めて軍備拡張に専念し、仮想敵国(または仮想敵対集団)に対して優位の均衡を維持するため同盟政策の推進に狂奔する。しかし、熾烈(しれつ)な軍備拡大競争や敵対する大同盟の対峙(たいじ)が行き着くところは、二度にわたる世界大戦であった。軍備の自由、同盟の自由、戦争の自由、中立の自由を支柱とする伝統的な安全保障方式は、根本的な再検討を迫られるわけである。国際連盟や国際連合は、伝統的な方式にかわる集団的安全保障をとった。集団的安全保障は、国家集団の立場から、これに属する構成国の個別的安全を統一的に保障し、もって国際の平和と安全を維持しようとする国際体制である。国際平和秩序の確立を志向する集団保障体制は、戦争を制限し、さらに戦争に至らない強力行使までも規制するとともに、違法とされる戦争または強力行使に対する国際社会の反応ないし反発を組織化する。戦争または戦争の脅威は、すべて国際社会全体の一般的利害関係事項として、防止または鎮圧を目的とする集団保障措置の適用対象とされる。

 国連集団保障体制の下では、原理的にみて、戦争とか同盟が主権的自由として容認される余地はない。しかし、ここで注意すべきことがある。国連集団保障は、憲章第51条の集団的自衛権を法的な基礎として、特定の発動要件に従う「個別的強力の集団的行使」を許容している。集団的自衛権は、憲章第8章の地域的取極(とりきめ)と結び付くとき、その自律化を促し、NATO(ナトー)(北大西洋条約機構)や旧ワルシャワ条約機構などの法的な基盤となっている。このように、昔日の防御同盟も集団的自衛も、共同防衛の要請にこたえ、現象的には同種の作用を営むものであるが、法理上は異なる地位と機能を有する。ただし、集団的自衛が集団保障の客観的統制の枠を外されるとき、同盟的に作用するおそれがあることは否定できない。

[森脇庸太]


同盟(イタリアの政党)
どうめい
Lega イタリア語

イタリアの急進右派政党。1991年創設、北部の自治を主張する右派政党「北部同盟」として出発。創始者ウンベルト・ボッシUmberto Bossi(1941― )。その後、党首マッテオ・サルビーニMatteo Salvini(1973― )のもとで「同盟」と改称し、2018年の総選挙では第三党へ躍進した。

 第二次世界大戦後始まったイタリア第一共和制では、経済発展が後れた南部地域に対して、地域開発などを名目に膨大な公共投資が行われてきたが、行政の非効率や腐敗のために十分な効果をあげてこなかった。1980年代には、こうした南部優遇措置も背景に税や社会保障負担が高まり、北部や中部地域の独立や自治の強化を主張する新たな政治勢力が浮上する。なかでもベネト同盟は1983年に、ロンバルディア同盟は1987年に、国政に議員を送るまでに成長した。1989年には北中部の自治を主張するこれらの諸勢力が、北部同盟を組織してヨーロッパ議会(欧州議会)選挙に進出した。1991年には、正式に政党として結集する。党首ボッシは、首都ローマを「泥棒」とよぶなどポピュリスト的スタイルで支持を集めた。

 1992年の総選挙では一気に8%余りの票を獲得して有力政党に浮上した。北部では地方政府を握るなど支持基盤を固める。1994年の総選挙以降、中道右派連合に加わり、ベルルスコーニ率いる数次の政権に参加した。1990年代後半には、北部の「パダーニア」地域の独立を主張したが、失敗した。もともと複数の地域勢力の寄り合い所帯としての北部同盟は内部で分裂が拡大し、党勢は一時衰退する。その後、党首ボッシが汚職への批判や内部分裂で失脚すると、マローニRoberto Maroni(1955― )が後を継いだ。

 その後2013年には反ボッシの若手サルビーニが党首に就任した。この前後から、北部の自立よりも連邦制への改革と反移民主義・反EU(ヨーロッパ連合)のアピールに重点を移した同党は支持を急速に伸ばし、フォルツァ・イタリアと並ぶ、あるいは一時はこれをしのぐ中道右派の最有力勢力となった。ただし、北部の自立の姿勢は、ボッシ時代から他の中道右派勢力との間に摩擦を生み、中道右派連合による政権の獲得と維持に影を落としている。

[伊藤 武 2018年6月19日]


同盟(全日本労働総同盟(戦後))
どうめい

全日本労働総同盟(戦後)

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普及版 字通 「同盟」の読み・字形・画数・意味

【同盟】どうめい

盟約を結ぶ。〔左伝、僖九年〕秋、齊侯、侯に癸丘に(ちか)ふ。曰く、そ我が同の人、ふの後、言は好に歸せんと。

字通「同」の項目を見る

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「同盟」の意味・わかりやすい解説

同盟
どうめい
alliance

2つ以上の国家が外交,軍事,政治,経済上の盟約を行うこと。古くはギリシアの都市国家,イタリアのルネサンス期の自治都市その他にみられ,近くは日英協約 (1902,05,11) ,日独伊共同行動協定 (41) ,北大西洋条約 (49) ,中ソ友好同盟条約 (50) ,ワルシャワ条約 (55) ,日米相互協力安全保障条約 (60) など数多く,一般に,締約国間の相互的武力援助を約束している場合が多い。同盟は「複数国が団結し,敵国または仮想敵国に対抗する勢力をつくり,それによってみずからの国家集団の安全を保とうとする組織」であるため,一方では味方を明確にすることによってその加盟国を保護するが,他方では敵を明確にすることによって相手国を挑発する。また,同盟はその対抗同盟を生み出す欠点をもっている。

同盟
どうめい

全日本労働総同盟」のページをご覧ください。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「同盟」の解説

同盟
どうめい

全日本労働総同盟の略称。1964年(昭和39)全労会議・総同盟・全官公が合同して設立した右派労働組合のナショナル・センター。戦前・戦後の総同盟を継承し,反共・反全体主義を主張し,総評と一線を画した。政治的には民社党を支持した。民間企業をおもな基盤とし,生産性向上運動や労使協議制の普及に努めた。87年11月,全日本民間労働組合連合会(連合)結成にあわせて解散した。解散時に220万人を擁していた。

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百科事典マイペディア 「同盟」の意味・わかりやすい解説

同盟【どうめい】

全日本労働総同盟

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旺文社日本史事典 三訂版 「同盟」の解説

同盟
どうめい

「全日本労働総同盟」の略称。

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世界大百科事典(旧版)内の同盟の言及

【同盟通信社】より

…第2次大戦時の日本を代表する独占的通信社。略称同盟(Domei)。本社東京。…

【総同盟】より

…労働組合全国中央組織(ナショナル・センター)で,第2次大戦前のものと,戦後のものとがある。
【第2次大戦前の総同盟】
 正称は日本労働総同盟。戦前の日本で最も有力かつ長い歴史を有した労働組合全国中央組織。…

【連合】より

… 1980年代に入って労働戦線統一の気運が盛り上がり,まず民間労組の統一組織として,87年(昭和62)11月20日,55単産,1オブザーバー組織,6友好組織の計555万人が結集して全日本民間労働組合連合会(略称は連合,通称は民間連合)が結成された。これにともない,従来のナショナルセンターのうち,同盟中立労連は解散し,新産別も1年後の解散を決定した。民間連合は88年2月から官民統一をめざして,総評の中心である官公労,旧同盟系の友愛会議全官公との首脳会談を開始し,89年6月までに(1)民間連合の基本文書〈進路と役割〉の尊重,(2)国際自由労連加盟,(3)民間連合に反対する統一労組懇には毅然たる態度をとる,の3重要事項などで合意をみた。…

【労働運動】より

…フランスの労働組合は,政党や国家機関のいっさいの役割を否定するサンディカリスムやアナルコ・サンディカリスムの影響が強く,いまでもこのような伝統は完全になくなったわけではない(同様の傾向はスペインなどラテン系の諸国でも認められる)。現在でもナショナル・センターは,フランス労働総同盟(CGT(セージエーテー)),フランス民主労働同盟(CFDT(セーエフデーテー)),労働総同盟・労働者の力(CGT‐FO(セージエーテーエフオー))のように政治路線の違いにより,分裂している。それに対しドイツでは当初,生産協同組合を重視するラッサール主義が,のちにはマルクス主義に立脚する社会民主主義が労働運動の支配的な指導理論とされてきた。…

【労働組合】より

…もし使用者がこれを拒否すればいっせいに就業をやめ,労働供給を停止して使用者が譲歩するのを待つ。これがストライキ(同盟罷業)である。その間の収入減に対しては組合基金から補償するのが原則であるが,組合財政の状態によっては補償されないことも多い。…

※「同盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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