味の素(読み)アジノモト

デジタル大辞泉 「味の素」の意味・読み・例文・類語

あじ‐の‐もと〔あぢ‐〕【味の素】

グルタミン酸ナトリウム主成分とする調味料。明治41年(1908)、池田菊苗いけだきくなえが昆布のうまみ成分として抽出し、商品化した。商標名。

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精選版 日本国語大辞典 「味の素」の意味・読み・例文・類語

あじ‐の‐もとあぢ‥【味の素】

  1. グルタミン酸ナトリウムを主成分とする化学調味料の商標名。明治四一年(一九〇八池田菊苗(いけだきくなえ)が昆布だし汁のうまみ成分の研究から発見、創製した。

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改訂新版 世界大百科事典 「味の素」の意味・わかりやすい解説

味の素[株] (あじのもと)

〈味の素〉で知られる総合食品化学会社。2代目鈴木三郎助とその家族によって1888年創業された鈴木製薬所が前身。神奈川県葉山で,ヨード製造を家内工業で行っていたが,化学薬品にも手を広げ1907年合資会社鈴木製薬所に改組(1912年鈴木商店)。東大教授池田菊苗が08年に取得したグルタミン酸調味料製造法の特許の工業化を依頼された鈴木は,新化学調味料の製造に取り組み,同年11月〈味の素〉の名で売り出した。当初はまったく売れず,軌道に乗るまでに10年近い年月を要した。大正の末からは順調に伸び,海外へも輸出されるようになった。35年宝製油(株)を設立(1944合併),味の素の原料となるダイズ油の製造を開始。第2次大戦後,46年2月社名を現社名に変更,50年に原料・製品の統制撤廃後は,急速に生産水準を回復,52年には戦前水準に戻った。その後,グルタミン酸ソーダ製法転換(植物タンパク分解法から発酵法へ)に協和醱酵工業に続き成功(1959製造開始)。これに伴い油脂関連部門を拡大,この部門でも大手になった。また,多角化を進め,総合食品化学会社への脱皮に成功した。とくに加工食品部門の拡大が著しく,61年にスープ,63年コーンフレーク,68年マヨネーズ,70年マーガリン,調理済み冷凍食品と,相次いで新分野に進出した。73年にはゼネラル・フーズ社と提携し味の素ゼネラルフーヅを設立,インスタントコーヒー等にも進出。最近では,飲料・乳製品部門,加工食品部門が調味料部門を上回る。さらに海外進出の面では,戦後も1958年にフィリピンで味の素の生産を開始したのを皮切りに,欧米,東南アジアを中心に進出しており,海外売上高比率は連結ベースで3割に達する。また近年は発酵技術を生かして,医薬品分野への進出に力を入れている。資本金799億円(2005年9月),売上高1兆0730億円(2005年3月期)。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「味の素」の意味・わかりやすい解説

味の素(株)
あじのもと

アミノ酸関係技術で世界的水準を誇る総合食品会社。ヨードを製造していた鈴木製薬所が前身。コンブうま味成分を研究していた池田菊苗(いけだきくなえ)からグルタミン酸ソーダの工業化を依頼され、2代目鈴木三郎助が生産に着手、1909年(明治42)調味料「味の素」の名で商品化に成功。当初から新聞広告など積極的なマーケティングを展開した。1917年(大正6)には鈴木商店を設立、アメリカや中国、東南アジアへの輸出にも力を入れ、1932年(昭和7)味の素本舗株式会社鈴木商店と改称、油脂、しょうゆ原料味液(みえき)、肥料へと漸次、事業分野を拡大した。第二次世界大戦後、1946年(昭和21)現社名に変更。1960年代には、味の素の製法を小麦のタンパク質または脱脂大豆からの抽出法から発酵法(1973年まで)に転換するとともに、海外にも工場を建設。さらに欧米の有力食品会社と提携して、コーンフレーク、スープ、マヨネーズ、コーヒーなどに進出したほか、冷凍食品市場にも参入し、総合食品会社として多角化を推進。最近では医薬品の開発でも注目されている。資本金約798億6300万円(2007)。工場は国内47、海外55(2007)。

[中村清司]

『『味の素株式会社社史Ⅰ・Ⅱ』(1971、1972)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「味の素」の意味・わかりやすい解説

味の素
あじのもと
Ajinomoto Co., Inc.

化学調味料大手の食品メーカー。1907年鈴木三郎助により設立された鈴木製薬所が前身。1908年,化学者池田菊苗グルタミン酸を原料としたうま味調味料の製造方法を発明し,その商品化を引き受けた鈴木三郎助が 1909年「味の素」として一般発売を開始した。1912年鈴木三郎助の個人事業だった「味の素」を鈴木製薬所が継承し鈴木商店に改称,1917年の創立を経て,1925年鈴木商店として新たに設立。1932年味の素本舗鈴木商店,1940年鈴木食料工業,1943年大日本化学工業と改称,1946年現社名に変更。1962年複合調味料「ハイ・ミー」発売。油脂事業や冷凍食品事業へも進出し,1990年にはカルピス食品工業(→カルピス)に資本参加,同社の総販売元となるなど飲料水部門も強化,拡充。また,アスパルテームを主とする人工甘味料事業やアミノ酸関連事業も拡大した。アメリカ合衆国やヨーロッパをはじめとする大手食品会社と提携し,食品総合メーカーとして事業を展開している。

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百科事典マイペディア 「味の素」の意味・わかりやすい解説

味の素[株]【あじのもと】

1888年に鈴木三郎助〔1867-1931〕が創業した製薬所を前身とする食品化学会社。創業は1909年。1908年池田菊苗がコンブのうま味の正体として発見したグルタミン酸ソーダを工業化,化学調味料の〈味の素〉として販売する。戦後グルタミン酸ソーダ合成法を開発したほか,複合調味料や食品類にも進出し,現在,総合食品から医薬品まで国際的に展開している。最近ではアミノ酸事業,医薬事業で業績を伸ばした。2002年東京スタジアムのネーミングライツ(命名権)を取得,〈味の素スタジアム〉とした。本社東京,工場川崎ほか。2011年資本金798億円,2011年3月期売上高1兆2076億円。売上構成(%)は,国内食品37,海外食品19,バイオ・ファイン16,医薬7,提携事業15,その他6。海外売上比率34%。
→関連項目カルピスクラフト・フーズ[会社]

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「味の素」の解説

味の素

正式社名「味の素株式会社」。英文社名「AJINOMOTO CO., INC.」。食料品製造業。大正14年(1925)「株式会社鈴木商店」設立。昭和21年(1946)現在の社名に変更。本社は東京都中央区京橋。化学調味料「味の素」の商品化に成功した「合資会社鈴木製薬所」の後身。調味料の国内最大手。高いアミノ酸技術で医薬・スポーツ・美容分野などに多角展開。東京証券取引所第1部上場。証券コード2802。

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世界大百科事典(旧版)内の味の素の言及

【味の素[株]】より

…〈味の素〉で知られる総合食品化学会社。2代目鈴木三郎助とその家族によって1888年創業された鈴木製薬所が前身。…

【池田菊苗】より

…明治中期から昭和初期にかけて活躍した日本の代表的な化学者,化学調味料〈味の素〉の発明者として有名。薩摩藩士池田春苗の次男として京都で生まれ,16歳のとき大阪衛生試験所長村橋次郎から化学を学んだ。…

【化学調味料】より

…これがコンブのうま味の正体であることをつきとめ,1908年特許をとったのが池田菊苗である。池田の依頼を受けた2代目鈴木三郎助は自身で創業した鈴木製薬所(現,味の素(株))で製造,08年11月〈味の素〉の名で売り出した。当初はまったく売れず,軌道に乗ったのは10年近くたってからである。…

【グルタミン酸】より

…カルボキシル基の一つがナトリウム塩となっているもので,MSG(monosodium glutamate)とも呼ばれる。この旨味の本体は,1908年池田菊苗によって発見され,同年早くも鈴木三郎助・忠治兄弟によって調味料として商品化(商品名〈味の素〉)され発売された。製法ははじめはコムギグルテンを加水分解して得ていたが,現在は微生物による発酵法で生産されている。…

※「味の素」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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