唐木順三(読み)カラキジュンゾウ

デジタル大辞泉 「唐木順三」の意味・読み・例文・類語

からき‐じゅんぞう〔‐ジユンザウ〕【唐木順三】

[1904~1980]評論家長野の生まれ。独自の文芸評論活躍。著「鴎外の精神」「中世の文学」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「唐木順三」の意味・読み・例文・類語

からき‐じゅんぞう【唐木順三】

  1. 評論家。長野県生まれ。はじめ森鴎外を中心とした日本近代文学を対象とし、やがて無常観など日本人精神を追究。著作に「鴎外の精神」「中世の文学」「日本人の心の歴史」など。明治三七~昭和五五年(一九〇四‐八〇

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「唐木順三」の意味・わかりやすい解説

唐木順三 (からきじゅんぞう)
生没年:1904-80(明治37-昭和55)

評論家。長野県上伊那郡宮田村生れ。松本中学,松本高校を経て京大哲学科に入学,西田幾多郎の講義を聴き心酔した。京大卒業後,概念の論理操作に終始するアカデミズムの哲学に飽き足らず,観念の背後に実感の裏づけを必須とする文芸批評に表現の道を見いだした。処女作《現代日本文学序説》(1932)はそういう批評的性格を刻印しており,芥川竜之介の自殺を乗り超える血路を探るモティーフにつらぬかれていた。戦前から戦後にかけては《鷗外の精神》(1943)があり,《〈明暗〉の成立まで》(1952)がある。戦後の仕事は《三木清》(1947),《現代史への試み》(1949)で始まる。〈型の喪失〉による近代ニヒリズムの克服という反戦後的精神の沈痛な思索であり,やがて《中世の文学》(1955)の無の形而上学にいたり,反近代の思想家の面目を広く印象づけた。鴨長明,一休,良寛,芭蕉の〈風狂〉のすぐれた洞察があり,晩年の《歴史の言ひ遺したこと》(1978)は,都と鄙(ひな),文明と野蛮の既成通念を転倒するユニークな日本精神史である。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

20世紀日本人名事典 「唐木順三」の解説

唐木 順三
カラキ ジュンゾウ

昭和期の評論家



生年
明治37(1904)年2月13日

没年
昭和55(1980)年5月27日

出生地
長野県上伊那郡宮田村

学歴〔年〕
京都帝国大学文学部哲学科〔昭和2年〕卒

主な受賞名〔年〕
読売文学賞(第7回)〔昭和30年〕「中世の文学」,芸術選奨文部大臣賞(第17回)〔昭和42年〕「応仁四話」,日本芸術院賞(第27回)〔昭和46年〕

経歴
京大で西田幾多郎門下として哲学を学び、長野、満州、千葉などで教員生活のあと著作、評論活動に入った。昭和15年古田晁に請われて臼井吉見筑摩書房の設立に参加。戦後は明大文学部教授を務めながら「中世の文学」「千利休」など多くの著作を発表、中世の再発見に努めた。42年には小説集「応仁四話」で芸術選奨に選ばれ、46年に芸術院賞を受賞。主な著書は「現代日本文学序説」「鷗外の精神」「三木清」「夏目漱石」「現代史への試み」「唐木順三全集」(19巻)など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「唐木順三」の意味・わかりやすい解説

唐木順三
からきじゅんぞう
(1904―1980)

評論家。長野県出身。京都帝国大学哲学科卒業。哲学的思索と人間性の探究、芸術的感受性の結び付きによる、独自な評論家としての地歩を築いた。1932年(昭和7)『現代日本文学序説』で一躍注目された。第二次世界大戦下の『鴎外(おうがい)の精神』(1943)は、近代日本の思想史上の鴎外を歴史小説、史伝の分析によって追究した労作。戦後は『展望』創刊に参加、『現代史への試み』(1949)などがあるが、やがて『中世の文学』(1955)。『千利休(せんのりきゅう)』(1958)、『無常』(1959)などの中世の再発見へと進んでいき、また中世に材を得た小説集『応仁(おうにん)四話』(1966)刊行のことがあった。その後、『古代史試論』(1969)など古代への遡及(そきゅう)もあるが、最晩年の関心は核問題にあった。

[竹盛天雄]

『『唐木順三全集』全19巻(1981~82・筑摩書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「唐木順三」の意味・わかりやすい解説

唐木順三【からきじゅんぞう】

評論家。長野県生れ。松本高校を経て京大哲学科卒。松本高校時代の下級生に中島健蔵臼井吉見,古田晁がいた。満州教育専門学校教授等を経て,1946年明治大学文芸科講師,後に教授。1940年古田晁の筑摩書房創立に当たっては臼井吉見,中村光夫とともに顧問となり,同社発行の《展望》を中心に旺盛な評論活動を行った。第1評論集《現代日本文学序説》(1932年)をはじめ,《鴎外の精神》(1943年),中世文学の再発見《中世の文学》(1955年),遺著《〈科学者の社会的責任〉についての覚書》(1970年)等がある。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「唐木順三」の意味・わかりやすい解説

唐木順三
からきじゅんぞう

[生]1904.2.13. 長野,宮田
[没]1980.5.27. 東京
評論家。京都大学哲学科卒業。西田幾多郎に師事し,『現代日本文学序説』 (1932) ,『近代日本文学の展開』 (39) などで認められ,1940年法政大学に勤務,かたわら批評活動を続け,近代日本人の原型を探った『鴎外の精神』 (43) などを発表した。 46年以降,明治大学文学部教授に転じ「日本文芸思潮史」を担当。そのほかの著作『現代史への試み』 (49) ,『中世の文学』 (55) ,『日本人の心の歴史』 (70) など。 71年日本芸術院賞受賞。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「唐木順三」の解説

唐木順三 からき-じゅんぞう

1904-1980 昭和時代の評論家。
明治37年2月13日生まれ。長野県,満州(中国東北部)などで教職につき,昭和7年「現代日本文学序説」を発表して注目される。15年筑摩書房創業に参加,戦後は「展望」創刊にかかわる。24年明大教授。中世に関心をむけ,「中世の文学」で30年読売文学賞。昭和55年5月27日死去。76歳。長野県出身。京都帝大卒。著作はほかに「無用者の系譜」など。
【格言など】言葉を正確に使えないということは,思想も精神も曖昧だということになります

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「唐木順三」の解説

唐木 順三 (からき じゅんぞう)

生年月日:1904年2月13日
昭和時代の評論家;中世文学者。明治大学教授
1980年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android