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国家総動員法にもとづいて1939年(昭和14)7月に制定された,国家による強制的労働力動員政策遂行のための勅令。当初は申告義務のある職種の技能・技術者を対象に,軍の作業庁または政府の管理工場・指定工場に徴用しうることが定められていた。戦争拡大による兵力動員の結果,徴用規模が拡大し,43年の改正では年齢枠もひろげられ,すべての職種の技能・技術者を対象とした。同年10月制定の軍需会社法による軍需会社では,全従業員が徴用されたものとみなされた。しかし徴用制だけでは不十分であったため,学徒勤労動員・女子挺身隊などを組織して,軍需部門への労働力確保が図られた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…青少年雇入制限令(1940年2月),従業者移動防止令(同年11月)が制定され,14歳以上60歳未満の男子の雇入れには国民職業紹介所長の認可が必要となった。さらに39年に制定された国民徴用令も,40年に改正され,徴用の範囲は拡張され,政府はほとんどすべての労働者を強制的に徴用できるようになった。しかしこのような強制的な労働力確保によっては,労働者の勤労意欲をわき立たせることはできなかった。…
…日本帝国主義の朝鮮植民地支配の結果,日本への渡航・移住を余儀なくされたか,あるいは日中戦争,太平洋戦争中労働力として国民徴用令などで強制連行され,戦後は米・ソによる南北朝鮮の分割占領,朝鮮戦争などによって日本に在留せざるをえなくなった者およびその子孫をいう。
[形成過程]
在日朝鮮人は1911年末には約2500人であったが,日本の土地略奪政策の遂行による農民の零落と,日本資本の労働力需要の増大によって1920年には3万人を超えた。…
…日中戦争の全面化以降にとられた労働力の強制動員政策。徴用制は国家総動員法のもと,国民職業能力申告令による国民登録制の整備を背景にして,1939年7月に国民徴用令が公布されて開始した。当初は申告を義務づけられた職種の技能,技術者を対象とし,職業紹介,募集などで重要産業に人員を確保できない場合は,総動員業務を行う官庁の請求により,必要に応じて徴用がなされることになっていた。…
※「国民徴用令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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