大島広(読み)オオシマ ヒロシ

20世紀日本人名事典 「大島広」の解説

大島 広
オオシマ ヒロシ

大正・昭和期の動物学者 九州帝大名誉教授。



生年
明治18(1885)年11月5日

没年
昭和46(1971)年3月6日

出生地
大分市

旧姓(旧名)
野村

学歴〔年〕
東京帝大理科大学動物学科〔明治42年〕卒

学位〔年〕
理学博士〔大正13年〕

経歴
第五高等学校教授、九州帝国大学教授(一時東京帝大兼任)、天草臨海実験所長を経て退官後近江兄弟社学園講師を務めた。帝国学士院会員、動物分類学会会長。この間大正9年からイギリス、アメリカに留学。海産動物の分類形態、発生生態、特にナマコウミグモ類について研究、論文300余編があり、共著の「発生学汎論」「棘皮類」「系統動物学」「動物学辞典」「日本動物図鑑」「科学論文の書方」などのほか著書に「異国迂路つく」「お玉杓子の頃」「三崎の熊さん」「ナマコとウニ」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大島広」の解説

大島広 おおしま-ひろし

1885-1971 大正-昭和時代の動物学者。
明治18年11月5日生まれ。五高教授をへて,九州帝大教授となり,昭和3年東京帝大教授を兼任。九州帝大天草臨海実験所初代所長。海産動物の発生,生態を研究した。動物分類学会会長。昭和46年3月6日死去。85歳。大分県出身。東京帝大卒。旧姓は野村。著作に「ナマコとウニ」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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