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政治家。明治43年3月12日香川県生まれ。1936年(昭和11)東京商科大学(現一橋大学)卒業後大蔵省に入る。1949年(昭和24)池田勇人(はやと)蔵相の秘書官として政界に入り、1952年衆議院議員に当選。第一次池田勇人内閣の官房長官として池田内閣の「低姿勢」「経済主義」路線を推進する立役者となった。池田首相退陣にあたっては佐藤栄作を支持、1971年宏池(こうち)会(旧池田派)会長に就任、1972年田中角栄内閣の外相として日中国交正常化を実現させた。1978年11月自民党総裁予備選挙で福田赳夫(たけお)を破り、首相に就任。保革伯仲下での部分連合、日本型福祉社会建設などを打ち出すが、1980年(昭和55)6月12日衆参同時選挙の最中、急性心不全で死去。
[伊藤 悟]
『福永文夫著『大平正芳──「戦後保守」とは何か』(中公新書)』
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戦後日本の保守政治家。香川県生れ。東京商科大学卒業。大蔵官僚の出身。1949年池田勇人の秘書官から政界入り。52年衆議院議員に当選。自民党主流派に身を置き,60年第1次池田内閣の官房長官,第2次,第3次池田内閣の外相となり,62年日韓国交正常化交渉の賠償問題を解決した。71年前尾繁三郎にかわって宏池会(旧池田派)の会長となる。72年田中角栄内閣成立に寄与し,外相となる。78年最初の全党員参加方式の総裁選挙で福田赳夫を破り,12月に総裁・首相となる。80年大平内閣2回目の総選挙のさなか,病に倒れた。
執筆者:高橋 彦博
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…第2次大戦後,大都市郊外の鉄道沿線で,駅を中心に公共セクターや民間セクターにより大規模な宅地開発が盛んに行われたが,戦後の高地価,宅地難のため過小宅地が多く,田園調布のような高水準に達していない状況にある。日本での田園都市構想としては大平正芳内閣時代,同首相の委嘱により政策研究会が1980年にまとめた提案が注目される。ここでのねらいは人口10万~30万人程度の地方中核都市を中心に,周辺の都市,農村を結合して形成される地域社会を田園都市圏と定義づけ,全国で200~300に達するこれら田園都市圏のネットワークを形成することにより,全国土の均衡ある発展を目指している。…
※「大平正芳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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