大谷翔平(読み)オオタニショウヘイ

デジタル大辞泉 「大谷翔平」の意味・読み・例文・類語

おおたに‐しょうへい〔おほたにシヤウヘイ〕【大谷翔平】

[1994~ ]プロ野球選手。岩手の生まれ。平成24年(2012)日本ハムに入団。投手と打者の両方をこなす「二刀流」として活躍し、平成28年(2016)には投手と指名打者の両部門でベストナインに選出された。平成30年(2018)米国メジャーリーグ移籍すると投打に渡って活躍、アメリカンリーグの新人王を獲得した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大谷翔平」の意味・わかりやすい解説

大谷翔平
おおたにしょうへい
(1994― )

プロ野球選手(右投左打)。岩手県水沢市(現、奥州(おうしゅう)市)生まれ。

 2012年(平成24)花巻東(はなまきひがし)高校3年のとき、アメリカ大リーグ(メジャー・リーグ)への挑戦を表明したにもかかわらず、北海道日本ハム・ファイターズにドラフト1位指名された。その際に球団側から大リーグ挑戦のための育成プラン(「夢への道しるべ」と題された資料)を提示されて入団を決めた。

 2013年、投打の二刀流に挑戦。オールスターゲームには、投手と左翼手として出場した。2014年に11勝、10本塁打の結果を残し、日本プロ野球史上初の「二桁(けた)勝利、二桁本塁打」を達成した。2016年には投手(10勝4敗、防御率1.86)と指名打者(打率3割2分2厘、22本塁打、67打点)でベストナインに選出され、パシフィック・リーグの最優秀選手(MVP)となる。

 2017年オフシーズンポスティングシステムを利用して、大リーグのロサンゼルス・エンゼルス契約した。

 2018年、大リーグではベーブ・ルース以来およそ100年ぶりに本格的な投打二刀流に挑み、3月29日、開幕戦の初打席では、初球で初安打を記録。4月1日には先発投手として初登板を果たし、6回3失点で初勝利をマークした。この年投手として4勝2敗、打者として22本塁打、10盗塁などの活躍をみせて、アメリカン・リーグ新人王となった。その一方で同年10月に右肘靭帯(ひじじんたい)再建術、いわゆるトミー・ジョン手術を受けた。

 2019年は打者に専念することとし5月に復帰、6月13日に日本人選手として、初のサイクル安打を達成。9月に左膝(ひざ)の手術を受けたが、106試合に出場し打率2割8分6厘、18本塁打、62打点の成績を残した。

 2020年に大リーグでは投手と打者の二刀流がルールに定義され、大谷は初の二刀流選手として登録された。この年の大リーグは新型コロナウイルス感染症(COVID(コビッド)-19)の流行拡大の影響で7月に開幕、60試合の短縮シーズンとなった。このシーズンは、右屈曲回内筋群の損傷のため2試合だけの登板となり、打者としては打率1割9分、7本塁打、24打点という成績に終わった。

 2021年には投打の二刀流で完全復活し、7月のオールスターゲーム前日に行われた本塁打競争に日本人として初参加。また、大リーグのオールスター戦史上初めて投打の二刀流での出場を果たした。「1番指名打者」で先発出場、また、先発投手としても登板した。この年のリーグ戦ではシーズン前半戦に独走しながら後半戦に失速して本塁打王こそ逃したが、46本塁打をマーク。投手として9勝をあげ、自身初めて投打の二刀流でシーズンを通して活躍し、2001年のイチローに次いで日本人2人目のアメリカン・リーグMVPに選ばれた。

 2022年はルース以来104年ぶりの「二桁勝利、二桁本塁打」を達成。また、1900年以降の近代野球史上初めて規定投球回数と規定打席数の両方に到達。シーズン15勝、219奪三振、34本塁打などの活躍でアメリカン・リーグMVP投票2位となった。

 2023年3月はワールド・ベースボール・クラシックWBC)日本代表として投打に活躍し、3大会ぶりの世界一奪還に貢献した。この年は、大リーグで2年連続での「二桁勝利、二桁本塁打」を達成。また、アメリカン・リーグ最多の44本塁打を放ち、日本人初のホームラン王を獲得するとともに、二度目のMVPとなった。同年のオフシーズンにFAフリーエージェント)となり、12月9日にロサンゼルス・ドジャースとプロスポーツ史上最高の10年総額7億ドル(約1015億円)で契約。長い歴史と伝統をもつ球団への移籍が決まった。

[福島良一 2024年5月17日]

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知恵蔵 「大谷翔平」の解説

大谷翔平

日本のプロ野球選手。1994年7月5日生まれ、岩手県水沢市(現:奥州市)出身。北海道日本ハムファイターズに所属し、近代野球では極めて珍しい投手、打者のいわゆる「二刀流」で活躍している。身長193センチメートル、体重90キログラム。
小学校3年時に野球を始めた水沢リトルリーグ、中学校時代に所属した一関リトルシニアで、共に全国大会に出場。菊池雄星(西武)に憧れ、彼の出身校である花巻東高校へ進学した。3年生の時に第84回選抜高等学校野球大会で甲子園に出場し、初戦の大阪桐蔭高校戦で藤浪晋太郎(阪神)から本塁打を放つも、11四死球で9失点と崩れ、敗れた。3年夏の岩手大会の準決勝・一関学院戦ではアマチュア野球史上初となる最速160キロを記録したが、決勝の盛岡大附高校戦では左翼ポールの外側を通過した打球が本塁打と判定される不運に見舞われるなど5失点、甲子園出場はならなかった。
2012年のドラフト会議前にはアメリカのメジャーリーグの球団からも注目され、本人はメジャーに挑戦したい気持ちを表明していたが、日本ハムが単独1位指名。ダルビッシュ有(テキサスレンジャーズ)が着用していた背番号「11」、投手と打者の「二刀流」育成プランなどを提示され、契約金1億円+出来高払い5000万円、年俸1500万円(推定)で仮契約、入団会見後には札幌ドームで監督の栗山英樹と投打で1球勝負する異例のエキシビションも行われた。
1年目から外野手でオールスターに選ばれるなど注目度は高かったが、投手としては3勝、打者としては打率2割3分8厘、3本塁打、20打点の成績に終わった。二刀流に対する懐疑的な声が野球評論家たちの間で根強くあったが、プロ2年目を迎えると、投打に突出した才能を発揮。オールスター戦には、関根潤三以来2人目となる投手と野手の両方で選出され、第2戦(甲子園)に先発登板すると、オールスターゲーム史上最速の162キロを計測した。
9月14日現在、先発投手として二つの完封を含む11勝(4敗)を挙げ、打者としても、ホームラン10本を記録、日本のプロ野球史上初の同一シーズンでの2けた本塁打と2けた勝利を達成。日本球界では前例がなく、メジャーリーグでも、ベーブ・ルース(当時レッドソックス)が1918年に13勝、11本塁打をマークして以来、実に96年ぶりの偉業として話題を集めた。

(城島充 フリーライター/2014年)

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知恵蔵mini 「大谷翔平」の解説

大谷翔平

プロ野球選手(投手・外野手)。1994年7月5日、岩手県生まれ。身長193センチ、86キロ。右投げ左打ち。小学校2年生で野球を始め、水沢南中学校時代は一関リトルシニアに所属。2010年に花巻東高校へ進学し、11年夏の甲子園、12春のセンバツに出場。同年夏の甲子園出場は逃したが、岩手大会準決勝の一関学院戦で、高校生最速の160キロを記録した。卒業後はメジャーリーグ挑戦を表明していたが、12年のドラフト会議で北海道日本ハムファイターズの1位指名を受け、同球団に入団。13年、投手と野手を兼任し、打者としても打席に立つ二刀流でデビューした。

(2013-6-20)

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