大野俶嵩(読み)オオノ ヒデタカ

20世紀日本人名事典 「大野俶嵩」の解説

大野 俶嵩
オオノ ヒデタカ

昭和・平成期の日本画家 京都市立芸術大学名誉教授。



生年
大正11(1922)年1月20日

没年
平成14(2002)年9月5日

出生地
京都府京都市

本名
大野 秀隆

学歴〔年〕
京都市立美術工芸学校卒,京都市立絵画専日本画科(現・京都市立芸術大学)〔昭和18年〕卒

主な受賞名〔年〕
京展京都市長賞(第3回)〔昭和22年〕,紺綬褒章〔昭和54年〕,京都市文化功労者〔昭和58年〕,京都府文化賞(功労賞 第7回)〔平成1年〕

経歴
昭和24〜34年前衛絵画集団・パンリアル美術協会に参加。34年国際批評家連盟による日本現代美術代表作家に選ばれる。35年米国・グッゲンハイム美術館に買い上げられたほか、斬新で前衛的な作品は国内外で評価された。パンリアル退会後は作風一転牡丹彼岸花など花の綿密な写生を続け、宗教的・宇宙的な世界への昇華をめざした。45年京都市立芸術大学助教授を経て、49年教授。62年退官。平成元年東京品川区のO美術館で回顧展。作品に、ドンゴロス(麻袋)を構成的にコラージュした「緋シリーズ」や、花を題材にした院体宋元画風の具象画などがある。画集に「大野俶嵩の花」、著書に「日本画」「画集花に祈る」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大野俶嵩」の解説

大野俶嵩 おおの-ひでたか

1922-2002 昭和後期-平成時代の日本画家。
大正11年1月20日生まれ。昭和24年下村良之介らとパンリアル美術協会を結成,33年まで同展に出品海外でも活躍したが,46年抽象絵画より伝統的な日本画に転じた。48年母校京都市立芸大の教授。平成14年9月5日死去。80歳。京都出身。本名は秀隆。作品に「鶏頭」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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