大阪維新の会(読み)オオサカイシンノカイ

デジタル大辞泉 「大阪維新の会」の意味・読み・例文・類語

おおさかいしん‐の‐かい〔おほさかヰシンのクワイ〕【大阪維新の会】

(大阪維新の会)橋下徹大阪府知事だった平成22年(2010)に結成した政治団体大阪都構想などを掲げ、府議会自民党などと対立していた橋下が、自らの基盤を強化するために結成。平成23年(2011)の府議会・大阪市議会・市議会選挙で勝利し、府議会で単独過半数に、両市議会でも第一党となった。翌年日本維新の会として国政政党となったが、後継維新の党から平成27年(2015)に分裂。別の国政政党である(おおさか維新の会)の母体となった。
(おおさか維新の会)維新の党から平成27年(2015)に、執行部方針である民主党などとの連携に批判的なグループが分裂して結成した国政政党(大阪維新の会)のメンバーらが中心。平成28年(2016)に日本維新の会へと党名を変更。

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知恵蔵 「大阪維新の会」の解説

大阪維新の会

2010年4月19日に大阪で結成された地域政治団体。当時の大阪府知事・橋下徹(はしもととおる)が設立したことから、当初は「橋下新党」と呼ばれた。ただし、国会議員5人以上を要件とする「政党」ではなく、地方自治に限定された「地域政党」の一つに含められる。大阪の競争力の強化を図り、経済的な成果を住民に再分配するという、新たな「経営モデルの実現」を理念に掲げており、そのマスタープランとして、大阪府と大阪市の解体再編による「大阪都構想」を提唱している。
結成のきっかけは、府庁舎の移転を巡る知事と府議会の対立にある。橋下知事は、湾岸エリアのWTC(大阪ワールド・トレード・センタービル)への完全移転案を府議会に提出した。しかし、既存の政党との調整に難航し、2度にわたり府議会に否決されたため、同会の設立に踏み切ったと見られる。
設立時は、橋下の政策を支持する府議24人、大阪市議1人、堺市議5人の計30人だったが、その後、自民党・民主党の多くの議員が次々と参集。設立から半年に満たない9月17日には、自民党大阪府連が同会に参加した自民党議員39人に離党勧告を行うなど、同会は既存政党との対立を深めた。11年4月に実施された第17回統一地方選挙では、大阪府議会の過半数を獲得。また、大阪市議会と堺市議会でも大幅に議席数を伸ばし、第一党となった。その後も、府下の多くの市議が同会に流れ、同年11月27日に行われた府知事・大阪市長のダブル選挙では、若者を中心とする草の根的な支援の動きも広がり、自公民が支援する対立候補にいずれも圧勝。同会の幹事長で前府議の松井一郎が府知事に、府知事からの転身を図った橋下が大阪市市長に当選した。「大阪都構想」や公務員改革など具体的な政策以上に、社会の閉塞感を打破することへの願いを集めた結果と分析される。
同会の代表である橋下の強烈なリーダーシップにも注目が集まるが、その強権的な姿勢や巧みに大衆を扇動する手法を「ハシズム」(橋下ファシズム)と懸念する声も多い。とりわけ、橋下の悲願であり、同会が制定を強く推し進めている「教育基本条例」は、教育への政治介入であり、教育の独立を脅かすものとして、府教育委員会や教育現場から強い反発を招いている。また、「大阪都構想」にも賛否が渦巻いており、同会の躍進は、大阪府・市の政策だけでなく、機能不全が指摘されて久しい地方自治の「二元代表制」の在り方も問いかけている。

(大迫秀樹  フリー編集者 / 2011年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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