江戸前期の古典学者、歌人、僧侶(そうりょ)。空心(くうしん)とも号す。近江(おうみ)国(滋賀県)下川(しもがわ)家の出。祖父元宜(もとよし)は加藤清正の家老で、父元全(もとさだ)は尼崎(あまがさき)青山氏に仕えた。母は細川忠興(ほそかわただおき)の臣、間(はざま)氏。8子中第3子として尼崎で生まれた。11歳で出家、大坂今里妙法寺の丰定(かいじょう)の弟子となり、13歳、高野山(こうやさん)に上り東室院快賢(とうしついんかいけん)につき、23歳、大坂の曼陀羅院(まんだらいん)の住職となり、24歳、阿闍梨(あじゃり)位を得た。そのころ下河辺長流(しもこうべちょうりゅう)を知り古典研究を始めた。27、28歳ごろ曼陀羅院を去り、大和(やまと)(奈良県)室生(むろう)の岩壁に頭を打ち死を図ったのち、高野を経て、30歳ごろより和泉(いずみ)国久井(ひさい)(大阪府和泉市)の辻森吉行(つじもりよしゆき)、35歳ごろより万町(まんちょう)(同市)の伏屋重賢(ふせやしげかた)(?―1693)のもとに寄寓(きぐう)、和漢の書を読破した。40歳、妙法寺住職となり、創設した高津円珠庵(えんじゅあん)に51歳ごろから62歳の死まで隠棲(いんせい)、著述に専念した。元禄(げんろく)14年1月25日没。円珠庵に遺著、墓がある。
徳川光圀(とくがわみつくに)の依頼も受け、『万葉代匠記(まんようだいしょうき)』『厚顔抄(こうがんしょう)』『古今余材抄(こきんよざいしょう)』『勢語臆断(せいごおくだん)』『源註拾遺(げんちゅうしゅうい)』『百人一首改観抄(かいかんしょう)』など古典を注釈、『和字正濫鈔(わじしょうらんしょう)』などで歴史的仮名遣いの基礎を確立し、『勝地吐懐編(しょうちとかいへん)』など歌枕(うたまくら)研究、『河社(かわやしろ)』『円珠庵雑記』『契沖雑考』など研究随筆を著し、『新撰(しんせん)万葉集』『古今和歌六帖(ろくじょう)』など和歌、六国史(りっこくし)など歴史、物語、日記など古典の書写、抄出、書入類も多い。実証的な文献学的方法による格段と進んだ古典研究を確立し、後世への影響が著しい。門弟に野田忠粛(のだちゅうしゅく)(1648―1719)、今井似閑(いまいじかん)(1657―1723)、海北若冲(かいほくじゃくちゅう)(1675―1752)、安藤為章(あんどうためあきら)らがある。また新古今調で写実的な和歌を詠み、『契沖和歌延宝集(えんぽうしゅう)』『漫吟集(まんぎんしゅう)』などに6000首以上収められている。
[林 勉 2017年6月20日]
『上田万年監修『契沖全集』全11巻(1926~1927・朝日新聞社)』▽『久松潜一監修『契沖全集』全16巻(1973~1976・岩波書店)』▽『『契沖伝』(『久松潜一著作集12』所収・1969・至文堂)』▽『築島裕・林勉・池田利夫・久保田淳著『契沖研究』(1984・岩波書店)』
江戸時代の古典学者。俗姓下川氏。契沖は法号。祖父元宜は加藤清正に仕えていたが,加藤家改易のため契沖は浪人の子として生まれた。幼時から記憶力に優れ5歳のとき母の教えた百人一首を暗記したという。11歳のとき大坂今里の妙法寺に入り丰定(かいじよう)の弟子となり,13歳で高野山東宝院の快賢について仏道修行し,阿闍梨(あじやり)位を得て大坂生玉の曼陀羅院の住持となった。この間に下河辺長流の知遇を得たが,やがて27歳のころ放浪の旅に出て長谷から室生山に至って死を決意し,岩頭に頭を打ちつけたが果たさなかった。そして吉野や葛城を経て再び高野山に上り,さらに和泉国の久井村や隣村の万町に移り住んで約10年を過ごした。こうして,山里での隠遁生活を送りながら古典研究にはげみ,仏典や漢籍に親しみ,梵語,梵字に関する研究である悉曇学(しつたんがく)(悉曇)を学んだ。1679年(延宝7)40歳のころ,実母と浪人となった実兄を養うために妙法寺の住職となり約10年間つとめたが,その間に下河辺長流に代わって,水戸光圀の依頼を受けた《万葉代匠記》の著述に着手し,87年(貞享4)ころ初稿本が,90年(元禄3)に精撰本が完成した。このころ,妙法寺を弟子の如海にあずけて大坂高津の円珠庵に隠棲し,生活上の補助を水戸家に頼りつつ,62歳で死去するまで古典の注釈と語学や名所研究に従事し,また弟子の今井似閑(じかん)や海北若冲(かいほくじやくちゆう)らの勧めによって万葉集の講義を行ったのである。契沖は17歳のころから和歌を詠み《契沖延宝集》や《漫吟集》を著したが,人間性の率直な発露として歌を理解する態度は,古文献と古語を人間的な諸感情の表現された生きた言葉として,しかも実証的に認識する研究方法を培った。古典の〈注釈〉とはそうした方法の実践的な具体化なのである。契沖の注釈の特質は,儒仏の教義や観念にとらわれず,またいたずらにそれらを排除することもなく,仏典や漢籍や和書からの類似句を豊富に引用しながら,古文献に表現された人間像をその歴史的な生活の場を通して批評的に解釈するところにある。それは契沖自身の人間的な感動を基調としつつ古典を再生させる方法でもあった。さらに悉曇学によって言葉についての厳密な感覚をもっていた契沖は,万葉仮名の表記に用字の統一性があることを発見して《和字正濫抄》を著し,〈歴史的仮名遣い〉の基礎を確立した。上記の著作のほかに,古典の注釈書には《厚顔抄》(記紀歌謡の注釈),《古今余材抄》《勢語臆断》《源注拾遺》《百人一首改観抄》などがあり,歌枕の研究として《勝地吐懐篇》,随筆として《河社(かわやしろ)》《円珠庵雑記》などがある。契沖の後世に与えた影響は大きく,荷田春満,賀茂真淵,本居宣長,上田秋成,橘守部らの多くの研究がその成果を取り入れており,契沖は〈古学の始祖〉(本居宣長《初山踏》)として近世古典研究の出発点に位置しているといえる。
執筆者:武藤 武美
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1640~1701.2.25
江戸前期の和学者。俗姓は下川,字は空心。祖父下川元宜は加藤清正の家臣だったが,父元全は牢人となる。幼くして大坂今里の妙法寺の丯定(かいじょう)に学んだのち,高野山で阿闍梨(あじゃり)の位を得る。ついで大坂生玉(いくたま)の曼陀羅院の住持となり,その間,下河辺(しもこうべ)長流と交流するが,俗務を嫌い畿内を遍歴して高野山に戻る。その後,和泉国池田万町の伏屋重賢のもとで,日本の古典を渉猟。妙法寺住持分をへて,晩年は摂津国高津(こうづ)の円珠庵で過ごした。著書は,徳川光圀の委嘱をうけた「万葉代匠記」をはじめ,「厚顔抄」「古今余材抄」「勢語臆断」「源註拾遺」「百人一首改観抄」「和字正濫鈔」など数多く,その学績は古典研究史上,時代を画するものであった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…彼の著作は多いが,70歳のときまでの〈歌論〉を大成した《梨本集(なしのもとしゆう)》がある。《万葉代匠記》を著した契沖は茂睡と同時代人である。《万葉代匠記》は,下河辺長流(しもこうべちようりゆう)が水戸光圀に請われてはじめた万葉集注釈の作業を,長流老齢のため引き継いだ仕事であった。…
…これらの古注類は考証や鑑賞面に大部のすぐれた成果を挙げてはいるものの,物語の本質論や文芸的理解となると,当時の儒仏思想の功利的な教戒観に左右されがちであったのはやむをえない。江戸時代に入ると,国学の勃興とともにいわゆる〈新注〉の時代となり,契沖の《源注拾遺》や賀茂真淵の《源氏物語新釈》がいずれも文献学的実証を志向し,ついで本居宣長の《源氏物語玉の小櫛》は,その総論に,物語の本質は〈もののあはれ〉すなわち純粋抒情にありとする画期的な論を立てて,中世の功利主義的物語観を脱却した。しかし宣長以後は幕藩体制下,儒教倫理による《源氏物語》誨淫(かいいん)説の横行によって,その研究もふるわず,わずかに萩原広道の《源氏物語評釈》の精密な読解が注目されるにすぎない。…
…古代歌謡の注釈書。契沖著。1691年(元禄4)成立。…
…中世の研究は北村季吟《八代集抄》(1679‐81成立)に総括され,近世の研究に基礎を提供した。契沖の《古今余材抄》(1692成立)は近世的な科学的研究を開始した重要な研究であり,本居宣長《古今和歌集遠鏡(とおかがみ)》(1794成立)は最初の口語訳である。香川景樹《古今和歌集正義》(1835刊)は近世の最もすぐれた《古今集》研究である。…
…この名称が最終的に定着したのは明治時代になってからであった。
[第1期]
国学の源流は,元禄年間の下河辺長流(しもこうべちようりゆう),契沖(けいちゆう)の日本古典研究にまでさかのぼることができる。長流は武士出身の隠者,契沖は真言宗の僧であったが,ともに中世以来の閉鎖的な堂上歌学やその歌論に批判的であり,伝統の権威にとらわれぬ新しい古典注釈をめざした。…
…これが,中世には仮名遣いの規範として権威をもった。後に述べる契沖の研究は,これに対する反論である。また鎌倉時代から室町時代にかけて,しだいに,〈てにをは〉の問題が,修辞の面から注意を払われ,これが,後世の文法研究の源をなすのである。…
…契沖による《伊勢物語》の注釈書。4巻。…
…注釈書。契沖の著。1690年(元禄3)精撰本完成。…
…契沖(けいちゆう)著の仮名遣い研究書。5巻。…
※「契沖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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