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学問の自由は,思想・良心の自由,信教の自由,表現の自由などとともに,精神的自由権に属する。この場合の前提をなす〈学問〉概念そのものを定義づけることは困難である。いま,これを一般的にいえば,人の真理探究の意識もしくは判断の作用,ないしはそれらの体系を意味する,と解することができる。しかし,このような精神的活動が,国家によって,自由権として認められたのは近代以降の歴史的発展の結果であった。そして,ドイツ語でakademische Freiheit,英語でacademic freedomと呼ばれるこの自由は,制度上は,欧米における大学での研究教育の自由,すなわち〈大学の自治〉の発展と結びついている。ところで,近代人権宣言の先駆となったアメリカやフランスの諸憲法では,とくに,この自由の保障規定はみられず,むしろ,それは,19世紀ドイツの憲法的発展の過程に看取される。その理由は,この国では,18世紀に入って,人文主義精神が高揚して,諸大学において,大学の自由と自治とが獲得されたという経緯による。この規定は,1849年のフランクフルト憲法に明定され,その伝統は,たとえば,現在のドイツのボン基本法(ドイツ憲法)の,〈芸術および学問,研究および教授は自由である〉(5条3項)という規定に連なる。
他方,日本の憲法をみると,旧憲法(大日本帝国憲法)にはこの自由が規定されていなかった。この事実は,前述のように,学問の自由が,本来,〈大学の自治〉と結合して保障されるところから,その後の日本の大学自治そのものの消長にも影響を及ぼさざるをえなかったのである。たとえば,沢柳事件(1913-14)のように,大学が,慣習法上,人事権を獲得しえた事実も存したが,その後,とくに,満州事変以降,学問の自由や大学の自治に対し,抑圧が加えられたことは周知のとおりである。滝川事件(京大事件,1933)はこの事実を象徴的に示したものといえる。旧憲法に対し,現行の日本国憲法は,〈学問の自由は,これを保障する〉(23条)と定めた。
この憲法上の保障の趣旨については,従来,学問活動が歴史上,主として,大学機関において営まれてきたということから,学問研究に従事する者の地位を特別に保障するという点が強調されてきた。しかし,他方では,学問の自由が,他の市民的自由と本質的に区別されるものではない,とする見地に立脚して,この自由の保障を,主として,研究教育機関に従事する者をして,その専門機能の遂行を可能ならしめる点に求めるべきである,とする見解が主張される。この後者の見解を考慮した場合,学問の自由とは,前述のごとく,思想表現の自由などと本質を同じくすると同時に,とくに,学問研究に従事する者が研究教育機関にその場を占めていることとの関連で,その専門機能の遂行を可能ならしめることを主眼として保障されたもの,として理解される。このようにみれば,この自由は,本来,何人に対しても保障されるが,上述の趣旨から,主としては,研究教育に従事する者の学問活動をその対象としている,と解することができるのである。
学問の自由は,前述のように,精神的活動の自由であるが,その性格は,一方では,思想・良心の自由(憲法19条)と同様,人の内心領域に属すると同時に,他方では,学問研究の内容を教授その他の方法で公表するという意味で,表現の自由にも属している。したがって,学問研究が内心領域にとどまる場合はもちろん,外部に表現される場合でも,それが本来の目的である真理探究の意識作用として行われる場合には,職業選択の自由などとは異なり,単なる〈公共の福祉〉を根拠として制約されてはならない,と解される。このことから,この自由の制約は,その対象となる〈学問〉活動の性格のいかんにかかわることとなろう。この点,たとえば,判例は,その活動が,もっぱら〈実社会の政治的・社会的活動に当たる行為〉としてのみ行われる場合には,憲法23条の保障を受けない,と解する(1963年最高裁判決。ポポロ事件)。この場合,このような〈政治的・社会的活動〉の内容は必ずしも明確とはいえず,その活動がとくに,大学自治と関連して問題となる場合などには,慎重に解釈運用される必要があろう。
最後に,学問の自由と関連して,〈教育の自由〉が問題となる。前述のように,学問の自由は,主として,大学を中心とする研究機関において保障されるが,その享有は,もとより,このような機関の研究者のみならず,その他の初等・中等教育機関の教育者や一般の私人についても妥当しなければならない。ここでいう教育の自由は,とくに,初等・中等教育機関の教育者に関し,問題となる。この自由は,その性質上,学問の自由と関連を有することを否定しえないが,そのことから,直ちに,学問の自由そのものに含まれる,と解しうるかは問題である。この点,判例は,旭川学力テスト事件において,憲法の保障する学問の自由は,普通教育の場においても,〈一定の範囲における教授の自由〉を保障するものだ,と解しつつ,同時に,児童生徒に教授内容を批判する能力がないこと,学校や教師を選択する余地が乏しいこと,教育の機会均等をはかるうえから全国的に一定水準を確保すべき要請があること,などの諸理由から,〈完全な教授の自由〉は容認されない,と判示している(1976年最高裁判決)。
執筆者:種谷 春洋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
真理の探究を目ざす学問の自由は、大学における研究の自由ないし教育の自由を意味するものとされてきた。そこでは研究対象の選定、企画、進行と成果の発表など研究の行為が、研究者の自主性に基づいてなされることが前提とされている。すでに認められてきた真理に対しての疑問、再検討を可能とし、政治的、経済的、宗教的などの点からの学問研究への制約や干渉を排除することを意味している。ヨーロッパで初めて憲法で学問の自由が明文化されたのは19世紀のフランクフルト憲法である。それまでの中世の教会や国王・領主などの権力の壁を破る真理探究の努力がルネサンス以降主張されるようになった。
日本では明治憲法では触れていなかったが、第二次世界大戦後の新憲法で「学問の自由は、これを保障する」(23条)と規定された。これは思想および良心の自由(19条)、信教の自由(20条)、表現の自由(21条)とともに規定された。学問の自由の保障は、学問研究の機関である大学に「大学の自由、大学の自治」を保障する論拠となる。さらに広く、だれでも真理の探究の行為をするときには学問の自由を認めるべきだという論もある。広く考えれば、大学という研究教育の施設だけでなく、大学以外の研究機関や私人の研究の自由も、学問の自由に含まれる。ただし、大学が学術の中心として高度の専門性をもっていることから、とくに大学における学問の自由が認められるのである。大学以外の教育の機関は研究機関ではないから、これらの学校では完全な意味での教育の自由は認められていない。
[手塚武彦]
『大内兵衛他著『大学の自治』(1963・朝日新聞社)』▽『島田雄次郎著『ヨーロッパの大学』(1964・至文堂)』▽『高柳信一著『学問の自由』(1984・岩波書店)』
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[法的な争点]
教科書訴訟は,教師に対する勤務評定や全国いっせい学力テストに関する教職員組合の闘争について発生した勤評裁判(〈勤評闘争〉)や学テ裁判に続き,教育基本法条をめぐる本格的な教育裁判となった。そればかりか,日本国憲法21条(検閲の禁止),23条(学問の自由),26条(教育を受ける権利),さらには31条(適正手続きの保障)等をめぐる憲法裁判として提訴以来国民から大きな注目を浴びた。 教科書訴訟においては,検定制度をめぐって,学校教育の教育内容に対する国家的介入の限界について徹底的に争われた。…
※「学問の自由」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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