ジャーナリスト,風俗史・新聞史研究家。反骨の奇人として知られる。讃岐(香川県)の豪農に生まれる。幼名を亀四郎と称したが,亀の外骨内肉にちなみ外骨と改名,のち〈がいこつ〉を〈とぼね〉と改めた。1886年に東京で頓智協会を設立,翌年《頓智協会雑誌》を創刊した。89年の大日本帝国憲法発布にあわせ,〈大日本頓智研法〉を骸骨が授与する戯画を掲載したため不敬罪に問われ,上告して争ったが重禁錮3年,罰金100円に処せられた。出獄後,数種の雑誌を創刊したが成功せず,一時台湾に渡るが,1901年大阪において小野村夫の名で《滑稽新聞》を創刊,風刺諧謔(かいぎやく),腐敗糾弾,反上抗官の筆を振るい,熱狂的な人気を集めたが,官吏侮辱罪などでたびたび筆禍をこうむり,08年〈自殺号〉と銘打った最終号を発行して廃刊した。改めて同年《大阪滑稽新聞》を創刊したが,これも《大阪平民新聞》へ資金を出資していたことや社会主義者を応援していたことが因となって弾圧をこうむった。10年,新境地を浮世絵研究に求め,雑誌《此花》を創刊,13年には小林一三の援助を得て日刊新聞《不二》を創刊するが,またもや筆禍入獄の難にあう。
1915年理想選挙を唱えて衆議院選挙に立候補するが落選,同年東京に本拠を移し,翌16年雑誌《スコブル》を創刊した。18年の東京での米騒動は,日比谷公園での集会を呼びかけた外骨の新聞広告が因をなしたといわれ,また印刷工と提携して民本党を名のり,右翼団体の浪人会から攻撃を受けた吉野作造支援の論陣を張るなど,大正デモクラシーの一翼を担った。21年伝統的因襲を断つとして廃姓を宣言,半狂堂と号して著述に専念,《賭博史》《奇態流行史》《川柳語彙(ごい)》などを著した。なかでも《私刑類纂》は吉野作造や法制史家の中田薫に高く評価された。24年,東京帝国大学法学部嘱託となるとともに,吉野作造,尾佐竹猛らと明治文化研究会を組織し,以後は明治文化史の研究に専念した。26年,法学部に付設された明治新聞雑誌文庫の主任となった。以後,49年に退職するまで文庫の充実に力を尽くすとともに,所蔵目録《東天紅》3巻を編纂した。著書としては前記のほか,《筆禍史》《明治密偵史》《府藩県制史》などの個性的な史書や,《猥褻と科学》《半男女(ふたなり)考》など奇書が多い。
執筆者:木本 至
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明治・大正・昭和期のジャーナリスト、新聞史研究家。慶応(けいおう)3年1月18日讃岐(さぬき)国(香川県)の豪農の家に生まれる。幼名亀四郎。18歳のとき漢和辞典の「亀外骨内肉者也」という説明から外骨と改名。少年時から『団々(まるまる)珍聞』などに狂詩を投書。1886年(明治19)『屁茶無苦(へちゃむく)新聞』を創刊したが、風俗壊乱として発売禁止となる。以後彼の特異な新聞・雑誌活動は数多くの筆禍を被った。1887年『頓智(とんち)協会雑誌』を創刊。同誌第28号に大日本帝国憲法発布式を風刺した「頓智研法発布式之図」を掲げたことから不敬罪に問われ、禁錮3年を受ける。1901年(明治34)大阪で『滑稽(こっけい)新聞』を創刊。風刺記事、戯作(げさく)によって大いに評判を得たが、しばしば筆禍にあった。また平民社の社会主義運動に共感して資金を援助し、『大阪平民新聞』の発行も助けた。第12、13回衆議院議員総選挙に「選挙違反告発候補者」として立候補したが、落選。関東大震災(1923)後は、明治の新聞・雑誌の保存収集の必要性に着目。1924年(大正13)吉野作造らと明治文化研究会を組織し、明治文化の研究に全力を傾けるとともに、博報堂の瀬木博尚(1852―1939)の援助を得て東京帝国大学に明治新聞雑誌文庫を設置、以後は同文庫主任として収集充実に努めた。『筆禍史』(1911)、『売春婦異名集』(1921)、『明治密偵史』(1926)など多くの著書がある。昭和30年7月28日死去。
[有山輝雄]
『『宮武外骨著作集』全8巻(1985~1990・河出書房新社)』▽『木本至著『評傳宮武外骨』(1984・社会思想社)』▽『吉野孝雄著『宮武外骨』(河出文庫)』
明治〜昭和期のジャーナリスト,明治文化史研究家,新聞雑誌研究家 明治新聞雑誌文庫初代主任。
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…1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという。…
…著書や新聞雑誌その他に発表した文章が,権力批判,風俗壊乱を理由に官憲の処罰の対象となり,体刑,罰金,発売禁止などの処分をうけること。出版による文学や言論の広範な普及に対処するために,国家機関が検閲制度を強化するにしたがって筆禍の事例は増加するが,日本では宮武外骨の《筆禍史》(1911)に〈筆禍の史実は此徳川時代に入りて,政治史の片影と見るべき社会的事象の一と成りしなり〉とあるように,木版印刷が盛行する江戸時代初期から,出版物の取締りがはじまっている。山鹿素行が《聖教要録》,林子平が《海国兵談》により,それぞれ幕府から処罰をうけたことはよく知られているが,享保,寛政,天保の三大改革にあたっては,戯作(げさく)小説も風俗壊乱のかどで取締りの対象となった。…
…内外通信社博報堂の創業者瀬木博尚の寄付により1926年設立決定,翌年2月から事務を開始した。初代主任宮武外骨の努力で多くの貴重な新聞・雑誌が収集された。明治中期までの東京発行の新聞・雑誌,大阪の新聞を網羅し,官庁発行の日誌類と地方のものもよく所蔵されている。…
※「宮武外骨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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