小川正孝(読み)オガワ マサタカ

20世紀日本人名事典 「小川正孝」の解説

小川 正孝
オガワ マサタカ

明治〜昭和期の化学者 東北帝国大学総長。



生年
元治2年1月26日(1865年)

没年
昭和5(1930)年7月11日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京帝国大学理科大学化学科〔明治23年〕卒

学位〔年〕
理学博士

経歴
静岡県立中学、東京高師教授を歴任。明治44年東北帝国大学教授となり、大正8年総長に就任。この間、明治37年39歳の時、ロンドン大学に留学。ノーベル賞化学者ウィリアム・ラムゼイの下で新元素探究を行い、2年の間に方トリウム鉱の鉱物中に新元素“ニッポウム(Np)”を発見。英国の雑誌にも取り上げられ周期表で空欄になっていた43番目の元素発見と大きな話題となるが、のち誤報とされる。昭和12年イタリアの学者が43番目の元素を発見し、ニッポニウムは幻の元素となる。平成11年東北大学の研究者らの再検証の結果、ニッポニウムが同じ七族金属の元素レニウムであったことが判明した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

化学辞典 第2版 「小川正孝」の解説

小川正孝
オガワ マサタカ
Ogawa, Masataka

明治・大正期の日本の化学者.松山藩士の長男として江戸に生まれる.1889年帝国大学理科大学化学科を卒業し,しばらく中学校教師を務めた後,上京して恩師のE. Divers(ダイバース)のもとで研究を行った.1899年第一高等学校教授.1904~1906年イギリスのW. Ramsey(ラムゼー)のもとに留学.新鉱物の分析から新元素を発見し,Ramseyの提案でニッポニウムNpと命名.帰国後,東京高等師範学校教授.1911年新設の東北帝国大学理科大学教授.さらに東北帝国大学第4代総長に選出された(1918~1928年).しかし,ほかの研究者による追試ができず,かれも誤って原子量を約100として周期表上の位置を誤り(43番元素テクネチウムの位置),かれの発見は否定された.しかし,最近の研究で,ニッポニウムは,1925年ドイツのW. Noddack(ノダック)らが発見したレニウムであったことが証明された.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小川正孝」の解説

小川正孝 おがわ-まさたか

1865-1930 明治-昭和時代前期の化学者。
元治(げんじ)2年1月26日生まれ。一高教授,東京高師教授をへて明治44年東北帝大教授。大正8年総長となる。明治41年新元素を発見したと発表したが,誤認とわかった。昭和5年7月11日死去。66歳。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「小川正孝」の解説

小川 正孝 (おがわ まさたか)

生年月日:1865年1月26日
明治時代-昭和時代の化学者。理学博士;東北帝国大学教授
1930年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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