世界大百科事典(旧版)内の少年文学宣言の言及
【児童文学】より
…その原因についてはさまざま考えられるが,結局,未明の伝統の呪縛から抜けきれず,児童文学の不振・停滞の理由をつねに外的要因にのみ求め,真に子どものための文学のあり方を追求するメスを内へと向けなかった点が最大の原因だったといえよう。 そうしたなかで,当時文学的にも社会的にも無名だった若い世代は,模索の手を未明の伝統という聖域へ伸ばし,53年の早大童話会による〈少年文学宣言〉を皮切りに,未明の伝統への否定的克服の道を歩みはじめた。60年,外国児童文学の洗礼を受けた石井桃子,瀬田貞二,渡辺茂男らのグループが《子どもと文学》を刊行したことでその動きはさらに強まり,57年,いぬいとみこの長編幼年童話《ながいながいペンギンの話》を筆頭に,神沢利子,佐藤さとる,中川李枝子,古田足日,松谷みよ子,山中恒らの新人作家がそれぞれの処女作をひっさげて登場,60年を越えた時点で日本の児童文学地図は完全に塗りかえられるに至った。…
※「少年文学宣言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」