山崎製パン(読み)やまざきせいぱん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山崎製パン」の意味・わかりやすい解説

山崎製パン(株)
やまざきせいぱん

パン業界のトップメーカー。第二次世界大戦後、食料難の1948年(昭和23)に飯島藤十郎が山崎製パンを設立配給小麦粉を預かってパンに委託加工する製パン所を千葉県市川(いちかわ)市に開業した。飯島は欧米を視察して、積極的に機械化を進め、首都圏におけるパンのトップメーカーに成長させた。1963年に当時最新鋭の総合製パン・製菓工場である東京・武蔵野(むさしの)工場を竣工(しゅんこう)して量産体制を整える。ついで、大阪、名古屋、新潟、福岡、仙台などに工場進出、1971年に関西ヤマザキを設立してナショナルブランドへの道を歩む。1970年にはアメリカの製菓会社ナビスコ社と合弁ヤマザキ・ナビスコを設立。1977年にサンエブリー1号店を、78年にヤマザキデイリーストアー1号店を開設し、コンビニエンス・ストア部門にも積極的に進出していった。1981年の香港(ホンコン)山崎設立に続き、タイ、アメリカ、フランスなどに現地法人を設立し、83年にはフランス最大の製粉会社グラン・ムーラン・ド・パリ社と技術導入契約を締結した。2007年(平成19)洋菓子製造・販売不二家(ふじや)と業務資本提携、35%の同社株式を取得した。資本金110億円(2008)、売上高5855億円(2008)。

[中村青志]

『山崎製パン株式会社社史編纂委員会編『ひとつぶの麦から――山崎製パン株式会社創業三十五周年記念誌』(1984・山崎製パン)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山崎製パン」の意味・わかりやすい解説

山崎製パン
やまざきせいパン

パン菓子メーカー。1948年千葉県市川市に設立。第2次世界大戦後の日本国民の食生活の変化に対応して食パンの量産化をはかり,首都圏を中心に近代設備を導入した工場を建設稼働。1966年大阪府に工場が完成し,その後全国に工場を配置した。1967年スーパーマーケットのスーパーヤマザキ設立。1970年アメリカ合衆国のナビスコおよび日綿實業(→双日)と合弁会社ヤマザキ・ナビスコを設立し,1988年に子会社化。1977年インストアベーカリー事業,コンビニエンスストア事業に進出。2001年イートイン方式のベーカリー,ヴィ・ド・フランス設立。2006年菓子メーカーの東ハトを,2008年洋菓子メーカーの不二家を子会社化。2016年「ナビスコ」ブランドのライセンス契約が終了,ヤマザキ・ナビスコはヤマザキビスケットに社名を変更した。

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百科事典マイペディア 「山崎製パン」の意味・わかりやすい解説

山崎製パン[株]【やまざきせいパン】

1948年設立。製パン最大手で和洋菓子も手がける。堅実な経営で知られる。早くから全国展開をめざし,1992年北海道で製パン会社を買収することで完了。子会社のコンビニエンス・ストアが成長を続けているほか,ストアベーカリー事業も活発。製パン以外の事業拡大を進めており,2006年に菓子中堅の東ハトを買収,2007年に消費期限切れ原料使用問題が発覚した洋菓子大手,不二家の株式35%を取得した。本社東京,工場松戸,武蔵野,仙台など。2011年資本金110億円,2011年12月期売上高9327億円。売上構成(%)は,食品92,流通7,その他1。

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「山崎製パン」の解説

山崎製パン

正式社名「山崎製パン株式会社」。英文社名「YAMAZAKI BAKING CO., LTD.」。食料品製造業。昭和23年(1948)前身の「山崎製パン所」創業。同年設立。本社は東京都千代田区岩本町。製パン会社。業界最大手。コンビニエンスストアも運営。子会社にヤマザキ・ナビスコ、東ハト、不二家など。東京証券取引所第1部上場。証券コード2212。

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