岡田三郎(読み)おかださぶろう

精選版 日本国語大辞典 「岡田三郎」の意味・読み・例文・類語

おかだ‐さぶろう【岡田三郎】

  1. 小説家北海道生まれ。早稲田大学卒。「不同調」同人著作巴里」「伸六行状記」。明治二三~昭和二九年(一八九〇‐一九五四

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20世紀日本人名事典 「岡田三郎」の解説

岡田 三郎
オカダ サブロウ

昭和期の小説家,文芸評論家



生年
明治23(1890)年2月4日

没年
昭和29(1954)年4月12日

出生地
北海道松前郡福山町

学歴〔年〕
早稲田大学英文科〔大正8年〕卒

経歴
中学卒業後、画家を志して上京、太平洋画会研究所に通い、またゴム櫛工場で働くが、帰道して2年間の兵役に服す。大正3年再上京して早大に入学。7年「涯なき路」が「新愛知」の懸賞に1等当選し、以後「影」「熊」「風」などを発表。早大卒業後は博文館に入社し「文章世界」を編集。そのかたわら「地平線」を創刊する。9年「泥濘」「兵営時代」などを発表し、10年短篇集「涯なき路」長篇「青春」を刊行。博文館を退職して、12年までフランスに遊学。13年「巴里」を刊行。14年「文芸日本」を主宰、また「不同調」同人となり、昭和4年「近代生活」に参加。新興芸術派の作家として活躍し「三月変」などを発表。15年には「伸六行状記」を刊行したが、戦後はみるべき作品がなかった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡田三郎」の意味・わかりやすい解説

岡田三郎
おかださぶろう
(1890―1954)

小説家。北海道松前生まれ。洋画家を志して太平洋画会研究所に学ぶ。早稲田(わせだ)大学英文科在学中、『涯(はて)なき路』(1918)が『新愛知』新聞の懸賞小説に当選。卒業後、『文章世界』の編集に従事し、浜田広介(ひろすけ)らと同人雑誌『地平線』を創刊。1921年(大正10)渡仏し、2年後帰国してコントを紹介、提唱した。25年『文芸日本』を主宰し、『不同調』同人としても活躍。新興芸術派にも加わり『物質の弾道』(1930)を刊行。戦時下の庶民の哀歓を描いた『伸六行状記』(1940)は評判をとった。

[神谷忠孝]

『『現代日本文学大系91 現代名作集一 岡田三郎篇』(1973・筑摩書房)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡田三郎」の解説

岡田三郎 おかだ-さぶろう

1890-1954 大正-昭和時代の小説家。
明治23年2月4日生まれ。博文館の「文章世界」を編集しながら小説をかく。大正10年フランスにわたり,帰国後日本にはじめてコント文学を紹介。14年「文芸日本」を創刊した。のち新興芸術派から私小説に転じた。昭和29年4月12日死去。64歳。北海道出身。早大卒。作品に「巴里」「伸六行状記」など。

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